「左脳な伝言」

「左脳な伝言」

selfish.few@大建工業、1964年、岐阜県生まれ
ゼネコン勤務を経て、2005年に大建工業入社
こんな人あんな人の虜です
こんなこともしています

偉大なNo2になるが人生のテーマです

このブログに関するご意見ご感想は:村田 富士男 まで

2009年09月06日@村田 富士男HEPHAS "やってみたか!?"

金曜は当社に製品を供給して頂いているHEPHAS社の社長が会社においでになった
会社でのミーティングを済ませて、夕食を共にしながらいろんな話をお伺いした

その中でも社名の「HEPHAS(ヘパス)」の由来については特に熱く語っておられた
韓国語で「HEPHAS」とは「やってみたか!?」という意味らしくて
社名そのままが日本で言う社訓とか経営基本方針のようなもので
まずは「やってみる」「試してみる」という行動指針そのものなのである

組織の中では何かしらのルールや制限というものが必ず存在していて
(特に日本人の)多くの人はそのルールを頭の中であれこれ考え、更に拡大解釈を付け加えて
自ら起源となるアクションから逃避しがちである

日々の業務(私生活も含め)の中で頭でっかちになっているよりも
常に「やってみたか!?」を頭と心に刻んで臨むことが出来たなら
それが出来ていなかった頃とは取組み方も解決方法の選択肢も大きく変るに違いない

私が思うには「やってみたか」が実践できない大きな要因は失敗を回避したい心の動きだろうと思う
失敗するということは他者に迷惑を掛けてお叱りを受けたりすることは当然のことながら
自身のふがいなさを現実として自分に突きつけられることになる
それは誰にとっても恐いことであり、可能な限り避けたい事態なのだろうと思う

でも、人としての成長を考えた時、本当はその失敗経験が逆に大切なのだとも思う
ヘマをやらかしたことは深く胸に刻んで同様の過ちを犯さないために
人は用意周到に準備をするようになるし、細心の注意を払って事に挑む

ここからは私の勝手な解釈でしかないけれどHEPHASという社名の本当の意味は
「やってみたか!?」の裏側にある失敗を自分の糧にして成長し続ける社員を育てたいという意味なのだと受け止めた

2009年08月31日@村田 富士男LED特設サイトのリニューアル

LEDの特設サイトを全面的にリニューアルした(まだ一部コンテンツが不完全ではありますが...)

今回はCMS(コンテンツマネジメントシステム)を利用して構築した
CMSは弊社の関連会社でもあるキャロラインリクエスト株式会社が独自に開発して販売をしている製品「Glue」を利用した

今回は製品詳細から直接ご購入頂けるように弊社の楽天ショップにリンクをそれぞれ貼り付けた

実は製品ラインナップにはまだUP出来ていない新製品が既に10種類以上ある
シャープさんが口火を切った低価格帯のLED電球に十分に対抗できる製品があるので
ご興味のある方は楽しみに待っていて頂きたい
(性能並びに品質が確認でき次第お知らせ致します)

いささか勇み足ではありますが、近日中に東京事務所も開設予定
ひょっとしたら単身赴任という新しい生活が始まるのも時間の問題か...(汗)

2009年08月27日@村田 富士男LEDポスター

LEDライトを設置して頂いた場所に掲示して頂けるポスターを作ってみた
ちょっと地味目か...

画像が小さすぎて世界地図が杉の木のドット柄になってるのは判らないかも

2009年08月25日@村田 富士男誠意を尽くすこと


本日は朝から岐阜県可児市にあるSpa Resort 湯の華アイランドにLEDライトの設置にお邪魔してきました。
ほぼ館内全てのハロゲン球(約400灯)を当社のLEDライトと交換して頂きました
この場を借りて心より感謝申し上げます

今日は製品を採用していただけ以上に嬉しいことがありました
ご担当者様が当社が設置したLEDライトに高いご評価頂き、ご友人をご紹介頂けるとのこと
手前味噌ではありますが、少なからず当社の職員の姿勢もご評価の一部としてご理解頂けた賜物と一人で勝手に喜んでいる次第です

この7月に当社はLED事業部という部署を新設して、私もその一員として日夜営業活動に励んでいます
LEDライトは残念ながらまだ万能ではなく全ての照明に取って代わるにはまだ暫くの時間が掛るとは思うのですが
その万能できない不足している部分は「お客様に誠意を尽くし切る」ことで補完していこう!」という決意で始めました

私にとっての「誠意を尽くす」というのは「圧倒的なレスポンス」です
お客様の想定以上にスピーディーな対応や提案を心掛けること...それが私の誠意です
今回はそんな姿勢を多少ご評価頂けたものと完全なマスターベーションではありますが一人で悦に入っているのでございます

ビジネスの場面で心が喜べる瞬間というのは滅多に訪れるものではありません
そんな瞬間を体験させていただけただけでも心から感謝を申し上げる次第です

LEDビジネスを始めてから大変多くの初対面の方と会わせて頂きました
正直なところ人見知りの激しい私には辛くて続かないのでは!?という自問がありましたが
幸いにも殆どの方に好意的に接して頂きその部分で悩むこともなく今日までやってこれました
まだまだビジネスを成功させたという領域には到達していませんが、こうやってお客様から励まされながら仕事が出来るというのは何者にも代え難い喜びなのです

いつか、誠意が尽くしていないとお叱りを受ける場面がひょっとしたらやってくるかも知れません
それでも、誠意を尽くすこと=圧倒的なレスポンスを常に心掛けていきたいと考えています

2009年08月21日@村田 富士男「世間」と「空気」(その2)

前篇はコチラ

私にとって「世間」を意識していることと「社会」を意識していることの最も大きな違いを感じたのは3ヶ月前に亡くなった母の葬儀の時に感じていた
正確には感じていたことが今になって判ったとも言えるのではありますが...

それは母の死去に伴って私が悲しんだり涙を流したりしたことは一度もなかったという事実である
当時の私はそんな自分自身に対して「どうして悲しくないんだ」「どうして涙がこみ上げてこないんだ」と正直感じていた
「世間」的に言えば、悲しみに打ちひしがれて泣き崩れているというのが普通の反応だと私自身が思っていたし、私もそんな自分ま姿を想像していた
なのに、そうならなかった自分に驚きというか不思議さを覚えていた
その答えがまさしく「社会」を意識していたからなのだということにやっと辿り着いた

私自身は母親に対してありとあらゆる意味で後悔がない
生きている間に私に出来る可能なことは全てやりきれたと満足している
他人から見れば至らなかったこときっとあるのだろうけれど、私の中にはやり残しは何もない
だから、母が亡くなった時に「これでやっと病気と闘わなくてすむね」と純粋にそれだけ思った
母の没後に母の友人から「おかさんは息子さん(私)からの励ましの言葉にとっても勇気付けられていましたよ」と聞かせてもらった
私にとっては何よりも嬉しいひと言だった
もし「世間」を意識しているのなら、隣の芝は青く見える的に「あんなこともしてあげたかった」「こんなこともしてあげたかった」と様々な後悔が頭をよぎっていたに違いない
それはきっと私が死ぬまで私の心を支配することになるでしょう

このエピソードはご理解いただけない方も少なくないかも知れないが
実際に具体的な現象となって現れることには大差はないのである
母が生き返ることは絶対に有り得ない、問題は残った我々がその先をどう生きていくのかなのである
世間を意識している人は心に大きなビハインドを持ったまま過ごしていかなければならなくなるだけなのである

「世間」というのはとっても日本人的な匂いがする
それに対して「社会」という存在は個人主義が定着した欧米型である
でも著者は日本以外の諸外国には絶対的な宗教が存在していて個々の個人主義が力を失くしそうになった時の心の拠り所として「絶対的な神」が不安を取り除く作用をしているのだという
私は日本人以外の心を持たないので絶対的な神の存在がどの程度の心の支えになるのかは実体験として持つことが出来ないのだが
日本で言う「世間」とは諸外国の「絶対的な神」の代わりの機能を果たしているのだそうだ
その日本人にとって大切な「世間」が徐々に崩壊し始めていると著者は言う
「絶対的な神」もない「世間」もなくなってしまったら日本人はどうなってしまうのであろと著者は危惧をする

ある部分で「世間」を持たない私の生き方は、そんな時代だからこそ生まれたひとつの形なのかも知れない

2009年08月20日@村田 富士男「世間」と「空気」(その1)

久しぶりに面白い本に出会った
鴻上尚史さんが書かれた【「世間」と「空気」】という単行本

まだ半分程度しか読み進めていないが今までにイマイチ合点がいかなかった出来事が少し理解できるようになったのがこの本です

私が合点がいかなかった事のひとつに他者の意欲と現実のギャップがありました
当社の社員でも口頭では意欲満々で積極的な姿勢の方は大勢います
私的にはその意欲や姿勢は必ず外部に対して何かしらのアクションとなって伴ってくるはず...と考えていました
でも、現実にはその意欲や姿勢はどこかでトーンダウンして期待していたアクションに結びつかないことが決して少なくありません
それを私はこの本と出合うまでは単に「本人の覚悟が足りないからだ、外部に対するアクションの反動を恐れて躊躇してしまっているのだろう」と考えていました
自らのアクションを評価(賛辞や批判)してもらうことは時には残酷な結果をもたらす場合が少なくないからです

信じられない方もいらっしゃるかも知れませんが、私の中にはその批判に対する怯えは殆ど無いと言っても過言ではないほどありません
私が公私共に判断基準の第一優先にしているのはアクションに対する結果ではなくて
常に後悔しないアクションをしているか?だけです
私の同僚や取引先・私生活で出会った方の中には私のことを快く思っていない方も必ず存在する
その存在か気にならないか!?と聞かれれば私も気になります
でも、私の(今の)力量ではその方々を導き入れる事が出来ないから快く思われていないわけで、どう足掻いたってその結果を変えることは出来ないと(今の私は)諦めているというだけなのです
自力で解決できない問題は私の中で問題として認識しても辛くなるばかりで意味がないわけです
私のことを快く思っていない方の考え方や受け止め方が変らない限り、それはどうやっても解決されないのです

だからは私は他者'評価を判断基準にすることをそれに気付いてから止めました
それよりも、後悔しない日常だけに心血を注ぐことにしたのです
常にありったけのパワーで物事と対峙しているか?力の出し惜しみをしていないか?出来たのにしなかったことはないか?
残念ながらまだまだ後悔が多い毎日ではありますが、でも時には全く後悔を覚えない日も出来る様になりました
後悔しない日常を続けること以上に私ができることはありません
それは(今の)私にとってのベストであり、ベストを尽くしたら結果がどう出ようと私の関知する事ではありません

この本を読んで気付いた最大の発見はコレです
この本によれば私は「社会」を意識している、冒頭に書いた意欲と現実のギャップの激しい人は「世間」を意識しているのだろうなぁと感じました
「世間」と「社会」の違いは日本人的な生き方と日本人以外的な生き方の違いとも言えるでしょう
勿論、私は日本人ですから日本人的な生き方も多分に包含しています
でも、こと自己評価に関しては日本人以外的な生き方を選択していると言えるのだろうと思います

著書によると(かなり乱暴な解釈ではありますが)「空気」とは「不確定な世間」であり、「世間」とは「情緒的な社会」であり、「社会」とは「論理的(反情緒的)な社会」だと私は受け止めました

「不確定な世間という空気」としいうのは掟や方向性がメンバー全員の暗黙の了解となっていない世間という意味です
だから、それがメンバー全員に共通の体感として知ら示めされるまでの間にそれに反する言動を行う人のことを空気が読めないというのです

「情緒的な社会という世間」とはコミュニティーであり、ある特定の共通項や志向性を持った方々だけの社会という意味です
私たちは時に「理屈(合理性)は判るけれどそれを承服することは出来ない」ということがあります
その承服できない要因は世間の文化であったり掟であったり暗黙の了解であったり習しや風習を判断基準の第一義にしているからです
だから合理性よりも情緒が優先される社会だと理解できるのです

最後に「合理的な社会という社会」とは肌の色や国籍や言語やコミュニティーを問わず1+1=2という共通の解を持つ社会です

意欲や姿勢と現実のギャップのある方々は、自らの判断だけでアクションが起こせず、世間体はどうだ!?掟を破っていないか?(掟を破ると仲間はずれにされるぞ~)という別の判断基準を常に意識しなければならない(のだろうと私は思います)
だから自己が決めた覚悟がどこかで歪む、外部に対するアクションとして表面化しない
覚悟を情緒的な社会という世間の上でしか構築できないのだろうと思ったのです
私の上段で書いた「覚悟が足りない」という非難は的を得ていなかったことに気付かされたということです
もし、そんなギャップの大きい方がいるのだとしたらその意識している世間の本質が何なのかを事前に見極めなければ次の外部へのアクションへは直結しないのです

続きは次回...

2009年08月18日@村田 富士男伝説のスピーチ

お盆休み直前に札幌に行ってきた
目的は「低炭素社会におけるCO2削減によるローコスト経営の必要性」というセミナー受講のため
講師は株式会社環境経営戦略総研村井社長である

そこで教えてもらったのが世界的に地球環境保護運動のきっかけとなった「伝説のスピーチ」である
知ってる方も少なくないと思います(私は存じ上げませんでした)が、ご存じない方の為にUPさせてもらいます
内容もさることながら簡潔なのに心に響くスピーチだと関心した次第です
自らの意志をまっすぐに伝えることの重要性を再認識させられました



セヴァンスズキ・伝説のスピーチ 環境サミット1992 6:41




2009年03月14日@村田 富士男紐帯(ちゅうたい)

一昨日、ある方からメールを頂戴した

そのメールの中身は立川志の輔さんの公演情報
既にご存知のことだと思いますが...という前置きがあって
来月名古屋で行われる公演のチケットを頑張ってゲッとしましょうね!というもの

そのある方というのは私は面識はないのですが、当社を長年ご贔屓にして頂けている企業の方で
私のこのブログもご覧いただけているとのこと
「広くて浅い紐帯」というのを全くもって実感しているのである

ブログの書き手と読み手という関係やお取引している企業という関係はあるのだが
面識がないので人同士という意味での繋がりはほぼないのである
お互いが落語に興味があるという共通項はあるとしても、別に私にその情報を知らせなきゃならない義務もないし
「多分知ってるだろうから」と思ってしまえばそこで話は終わる

でも、その方は見たことも話したこともない私にメールをわざわざ送ってくださった
ブログを読んで頂いていて、「ひょっとしたら知らないかも知れない」と思って頂けたからこそメールをしてくださったのだろうし
私の勝手な思い込みですが、私に何かしら興味を持っていただけたのかも知れない

顔も知っている性格も話すことも考え方も判っている、お互いの強い絆で結ばれた狭くて深い紐帯と
ネット上に氾濫する膨大な情報のほんの一握りの共通項で新しい関係が出来上がる広くて浅い紐帯
どちらもが生きていく上で必要不可欠な要素なのだろうと思うし
そのどちらにでも通用する人でありたい 

2009年03月10日@村田 富士男電子タバコ買ってみました


大人気 テレビ 雑誌 話題の電子タバコ スーパーシガレット日本版

を購入した、既にご存知の方も多いとは思うが、コレは優れものである
ニコチンもタールも何も含有されていないから健康を害する恐れはないし
副流煙で近くにいる人の迷惑にもならない
しかも、火は一切使わないので火傷することも火事になることもない
1カートリッジで約200~300回吸い込むことが出来、タバコ1箱分とほぼ同等
コスト的には1カートリッジが100円弱なのでタバコに比べてもかな~り経済的である

充電式で香りと煙の代わりになる水蒸気を出すカートリッジを装てんすると
(味わいは別にして)殆どタバコを吸っているのと同じ感覚を体感することが出来る
オマケ的な演出だがちゃんと先端が赤く(LEDライトで)光って、さも本物のように見える

ニコチンを純粋に吸収したい方は別にして、長年の習慣で口が寂しいというだけで
禁煙出来ずにいる方にはうってつけである

今日の午後に届いて、早速会社で試飲していたら何人かから「私も欲しい...」と
プチ人気者になれたりもするという特典までついているのである(笑)

興味がわいた方はお試しあれ

2009年03月09日@村田 富士男グリーンビルディング計画

当社の事務所ビルの一階全てを蛍光灯からLED照明に取り替えました
受付から事務室・応接室・社長室全ての照明をここで紹介したフラットパネルタイプと部分的にダウンライトに変更

本当ならば写真をUPするところですが、既設照明の取り外した跡の汚れがひどくて
清掃&塗装のし直しをしないと皆様にはお見せできません

それで、照度はどうかというと...
事務机の上での照度は約1000ルクスと蛍光灯の時よりも明るくなりました
消費電力は蛍光灯利用時が約2400wだったのに対してLED化後は約1200wと概ね半分
まだ導入コストが何年で元が取れるのかまでは計算していませんが
年間で杉の木約140本分のCO2吸収量の削減に寄与する計算になります

どうでもいい話だけど、応接室に設置したLED照明は一日の利用時間を考えると
(多分)私がこの会社を定年退職する頃でもきっと現役で室内をてらしてくれている予定
記念に器具の裏側にでも日付とサインくらいはしておけば良かったかも \(^o^)/

当初はこの1階事務所だけをLED照明に切り替えてショールーム化する予定でいたのですが
ある職員の提案により建物内全ての照明をLED化し、建物自体を広告媒体とすることとしました
幸い当社の事務所の前の道路はとても交通量が多く、1人でも多くの方にLEDをまず知って頂くきっかけにでも出来ればと考えています

2009年02月28日@村田 富士男嬉しいこと

覚悟を決めた日」以降、母親の言動をずーっと気にして暮らしている
本人は元気で飛び回っている時もあれば「今日はちょっと体がダルいから...」と1日中布団の中でグダグタしている日もある

私の兄弟たちも入れ代わり立ち代わり足を運んでくれて母親の顔を見に来てくれる
私の子供たちも私の知らないところで(彼らにとっての)祖母とコミュニケーションをつよくしてくれているようだ

そんな中で弟の中学時代の友人一同から「旅行に行くか、美味しいものでも食べて!」と数万円のお小遣いが届いた

私の弟は中学時代は仲間たちと少しはみ出した生活をしていた
学校内でも学校外でもそれなりに騒動を起こす俗に言う不良と呼ばれる人だった
彼らは深夜まで街を徘徊しては集団で「腹が減った~」と言って我が家によく来ていた
そんな彼らを母親はいつも文句ひとつ言わず迎え入れて、どんな時間であろうが食事を作って食べさせていた

母親曰く、子供(たち)に食べ物に関してひもじい思いだけは絶対にさせない
高級な食べ物でなくてもいい出来うる限り温かくて作りたてモノを食べさせてあげたい...と
そんな母親の思いのまさしく実践の時間だったのだと今にして思う

母親の病気のことを伝え聞いたそんな彼らがお金を出し合ってくれたのだそうだ

時間にすれば25年ぶりに努力が報われたということになるのだろうか
でも、間違いなく見返りを期待して振舞っていたわけじゃない
ただ、それを恩として今だに受け止めてくれている人たちがいるってことは
人としてもの凄いことなんじゃないかと(私は)思う

そして、そんな人たちがいるんだよということが母親に伝わったことで
母親がもらった勇気や元気やエネルギーは金額には換算が出来ないほどだろう
経緯を嬉しそうに私に話す母親の笑顔がそれを物語っていた


2009年02月27日@村田 富士男拡がる

今更ながらではあるがネットの凄さを実感する

今月に入って当社のサイトを訪れて頂けた方がいらっしゃる国(又は地域)は日本も含めて13カ国
Japan / South Korea / United States / Taiwan / Oman / China / Jordan / Cuba / United Kingdom / Mexico / Singapore / Hong Kong / Germany

日本と韓国とアメリカと中国には行ったことがあるが、それ以外の国にはさすがに知り合いもいない
メキシコやキューバやドイツって...
凄いのはそれなりにページビューがあること、せいぜい数字くらいしか正確に表示しないだろうに
どんな経緯で辿り着いたのか聞いてみたいものだ

日本国内だけに目を向けてみると(過去一ケ月のアクセス)
japan.JPG
さずかに地元の中部圏からのアクセスが多いけど、これまた仕事のお付き合いのない地域からも多くのアクセスを頂戴している

その理由はLED専用サイトを開設したからである
今日はその専用サイトからのお問い合わせに事を発して新しい販路を発見することが出来た
ひよっとしたら今まで想定で動いていた営業活動を相当なピンポイントで開拓できることになるかも知れない
こういう出会いがあるのもネットならではの拡がりなんだなぁと改めて実感した次第

もうひとつ大きな拡がり...
それはプレゼンや打ち合わせなどで未知の方々との沢山の出会いである
元来、強烈な人見知りをする私だったはずなのだが、最近は全くの平常心でそれに臨むことが出来る
環境の変化が、それ(人見知り)を自分の短所と考えていた私を気付かないうちに変えさせていたようだ

この変化には自らが最も驚いている
この変化が人間としての少しでも幅(器)が拡がったことになってればいいのだけれど (^_^;)

2009年02月24日@村田 富士男14116箇所

LED照明絡みでいろんな資料を見ていた中に平成20年度省エネ法改正の概要というのがある

大きな変更点は管理を義務付ける対象が一定以上の大規模な工場から、一定以上のエネルギー使用量を超える事業者単位になったこと
純粋な工場だけではなくて病院・ホテル・官公庁・ショッピングセンター・フランチャイズチェーンまでもがさの対象となる
それぞれの事業所で経済産業所への届出と管理者を選任しなければならない

驚いたのは既に対象となる事業がWEBサイト上で公開されていることだ
省エネ法指定工場名簿(エネルギー管理指定工場名簿)、その数全部で14,116箇所
(皆さんの勤めている会社も対象になってたりしませんか!?)

単に届出だけでなくて将来的には毎年1%のエネルギー消費原単位の削減を目標とした
中長期計画の策定とその検証をしなければならなくなるらしい
上記の名簿に掲載されている事業所は今年の4月からエネルギー使用量の測定をしなければならない
それを基準にエネルギー原単位削減のための中長期計画を策定して実行していくからだ

ISO14000シリーズを認証取得されている企業はそんな法律が制定される前に既に様々な検証をしているのかもしれないけれど
それでも温暖化ガスの排出量は減っていない法律や意識が追いつた頃に地球はどうなっていることだろう


2009年02月17日@村田 富士男ラクテンとテンラク

昨日の午後から楽天に出すショップの準備に没頭中

RMS(楽天マネジメントシテム!?)というCMSの親戚のようなものを使ってサイトを構築するのだが
勝手が判るようになるまではなかなか進まない
今日も朝から1日それにかかりきりでやっと必要な商品ラインナップの登録が終わったとこ
明日中にトップページとサイドメニューを作り込んで開店審査に持ち込みたいところ

ちなみに、こだけの話ですが諸事業あって当社のLEDサイトにもない製品が
楽天ショップでは並んでいたりします(実はこれが目玉だったりする)
遅くとも来週の中頃には開店できる見通しですのでお楽しみに

話は全然変わっちゃいますが...
(風邪薬と)お酒の影響って本当に恐いですね、私もお酒を相当に嗜む方なのでああならないように気をつけなきゃ
でも、あの会見は明らかに酒飲みが自己嫌悪に一番陥ってる状態だったなぁ
私も何度となく経験済みなので逆に「こんなのあり!?」と驚いた映像でした
可哀想なのは公人で、しかも究極の公の場でやらかしちゃったこと
下手したら一生リベンジの機会は与えてもらえない程の失態となるのかも知れない
恐るべし(風邪薬と)アルコールの力である

2009年02月14日@村田 富士男LED照明の新ラインナップ

LED照明のラインナップを追加した
今回は高出力な電球タイプ3320Sとオフィス等でも利用できるフラットパネルの正方形長方形のタイプの2種類
main.jpgLP660N_cw120.jpgLP1230N_cw120.jpg

フラットパネルLEDは近い将来(早ければ今月中)に当社の事務所1Fに設置される予定なので
設置が完了次第にショールームと化した当社の事務所をお披露目する予定である

日本でのLED照明はまだまだイニシャルコスト(購入価格)が(滅茶苦茶に)高いイメージが定着してしまっていて
なかなか導入していただける環境にないというのが現状なのだが
このフラットパネルタイプに関しては新築若しくは大規模改修時等であればイニシャルコストに関しても相当に勝負が出来る価格になる(する・してもらう)予定
価格を今のところオープンにしているのは、現在その熾烈な折衝をしているところだからである(笑)

オフィス向けにはまだ公開していないけど蛍光灯の代替としての直管タイプもある
日本でもよく使われている20W(L=580mm)・40W(L=1198mm)・110W(L=2367mm)もあります
こちらは一日の使用時間が長くてメンテナンスコスト(交換手間)が多い方向けには格好の製品である
省エネ効果(消費電力量)は現在の普通の蛍光灯に比して約25~30%のダウンを実現できる
省エネとか温暖化ガス排出抑制といういう観点であれば十分にエンドユーザーに貢献できる製品ではあるのだが、単純にイニシャルコストとランニングコストだけの経済効果で考えた場合には採算が合わないのかも知れない

当社で取り扱うLED製品は複数のメーカーの得意としている製品だけをラインナップとして揃えている
今年に入って数度の訪韓はその品定めをするためなのであった

一昨日(2/12)に建設通信新聞社、昨日(2/13)には建通新聞社 中部版にも記事を掲載して頂いた
その効果なのかWEBサイトは三桁を越えるアクセスがあり、お問い合わせ第一号も頂戴したのである
昨年の11月下旬から取組み始めたこのLED照明事業がやっと準備を終わってスタートをしたという感じである

2009年02月09日@村田 富士男先手と予防

1カ月ぶりの「乱読」エントリーである
今回は「知に働けば蔵が建つ」文春文庫 内田樹著
実はまだ全部読みきれていない(最近は通勤電車が少し空いててかなりの確立で座れちゃってついつい仮眠を取る習慣が...)

今回も数年前から虜になってる内田先生の本で、内容は内田樹研究所ブログを本にしたもの
単行本が文庫本になったもので単行本の発売は2005年11月だから既に3年以上を経過しているので話題としてはかなり時期がずれた話が多く
まだ総理大臣は小泉さんだし、郵政解散の話があったりして時間の経過のあまりの速さを今更ながらに実感するのである

その中でも特に小泉さんが総理大臣の頃の靖国参拝に関する記述は非常にためになった
公式参拝に関する是非ではなくて、その経過と結果がもたらす状態に関する記述は参考になった
唐突に参拝したり、すると言ってしなかったり、著者はそれを政治家としての信条や単なる慰霊的な行為ではなくて別の目的あるのではないか!?と推測されている

その目的の中身はさておいて、その手法を「先手を取る」と表現している
物事の何かが始まってからアクションを起こすのではなくて、始まる前に始まることを前提として既に手を打っておき
事が始まった時には既に主導権を握っていることだと、合気道の「居合い」を例に解説していて
妙に納得してしまうのであった

当然に立場やその時に持ち得る権力がなせる行為も少なくないのだろうが
私が得意としているはずの予防措置(事が起こったとしてもその時のための備えをしておくこと)とは全く逆の思想であり、そんなテクニックもあるのだなと感心しきりなのでありました

2009年02月05日@村田 富士男着眼点

まずは宣伝から...

以前から予告していましたLEDライトの公式WEBサイトをUPいたしました
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LED照明の革命
   「未来へ、前向き。」大建工業のLEDs発売中
     http://www.dkk.co.jp/led/
***************************************************************
ご購入希望の方はお問い合わせよりご注文願います
近々、楽天にてショップを開店する予定をしています

話は変わります
昨日から今年に入って3度目の韓国に来ています
目的はLED照明のラインナップ充実のための提携先工場の視察のため

前々回に来た時に視察したメーカーは高出力の実現を第一優先にして開発を進め
日本市場でも通用する製品を実現しました

今回、お邪魔したメーカーはチップの出力を上げることより
光を均一に拡散させるための素材の開発を最優先事項として開発をされた

LEDライトは光の直進性が高いこと特徴のひとつなのですが
逆に拡散性が低くチップの前面にしか光を当てることが出来ないことが弱点のひとつでもありました
実際に様々な施設で照明の使われ方を観察していると
白熱灯やミニクリプトン球等、180度以上の広角を照らす必要があるケースも決して少なくない
ぶっちゃけた話、そういった設置状況の場合はLEDライトへの変更は諦めるしかない...と思っていました

そんな中で本日お邪魔したメーカーさんの着目はLED照明の開発という意味では特異だったのかも知れないけれど、他メーカーが解決できない欠点を見事にクリアしていました
あれだけの製品は短い期間とはいえLED照明産業に関わってきた私でも驚きの製品でした

LED照明産業はまさしく今が創世記で、規模の大小に関わらず様々なメーカーが様々な精魂を世に送り出そうとしています
開発も日進月歩で数か月先の状態を予知することは(多分)不可能でしょう

某シンクタンクの調査では数年後には一兆円市場に発展するんだそうです
そんな環境の中で単なる流行に乗って金儲けをしようという短絡的な発想ではなくて
信念を持って開発を続けてきたメーカーさんの製品を扱うことが出来るのは私にとっても誇りのひとつとなる

ビジネスだから第一優先は当然にお金儲けなのかも知れない
でも、製品の開発者という人たちはきっとそれ以上の何かを実現したくて日々励んでいるように感じる
だからこそ、自分の着目した優先順位が揺るぎない自信となって製品が創り上げられていく
そんなパワー溢れる方々との接触はとても刺激的で楽しい

2009年02月02日@村田 富士男ビフォー・アフター

LEDライトの契約(?)第1号です

私の人生の転機の殆どに立ち会ってきた思い出のお店に無理を言ってLEDライトを置かせてもらったのだ

     <BEFORE>               <AFTER>
CIMG0073s.jpgCIMG0075s.jpg

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ハロゲン電球をLED電球に交換して、消費電力量は約1/15程に下がる予定
見た目は殆ど変わらないけれどLED照明の特徴である光の直進性の特徴がカウンターにスポットで当たっている部分の陰影がクッキリしていることでよく判る

どうでもいい話だけど、前の会社を辞めた夜はこのカウンターの一番奥でmixiしてたな(笑)
たくさんの人から励まされて人生のリスタートの不安を吹き飛ばしてくれた場所でした
今回も新しい事業がここから始まるという意味では私の大きな転機に立ち会うことになるのかも...

2009年01月28日@村田 富士男上ばかり見てる

最近の我社の一部の方々の日常である「上ばかり見ている...」
まさしく上(天井)ばかり見て、ここの建物の照明はLEDライトに取り替えられるなぁとか
この器具の形状では難しいなぁとか、内心でつぶやいているのだ

昨夜は同僚の実父が急逝されたのでお通夜に数名が参列したのだが
葬儀場に入るなり皆して天井や壁を眺めていた
その時に「皆して上ばかり見てるなぁ」とその中の1人が自嘲気味に言った

世間は急激な景気後退に対応策を講じることすら困難な状態に陥っている
当社も大幅な減収は免れない事態だと覚悟はしているのだが、幸いにしてLEDライトの販売という新規事業に必死に取組むことで、そのシッョクの精神的な直撃を免れている(気分でいられている)
少なからず販路も少しづつ見え始めてきたりもしているのだが、まだまだ大きな収益源となるには相当な時間がかかることでしょう

でも、元気の出ない話題が多い中で俯かないでいられるだけでもとても幸せなことなのだろうと思う
単に電球を眺めるために「(人が)上('天井)ばかりを見る」のでは
企業としての成長という意味で「上ばかりを見ている会社」になりたいものである

2009年01月21日@村田 富士男覚悟を決めた日

今日は昼間の仕事中に母親から連絡があった
用件は「病院に見放された...」だった
数年前に腎臓癌を患って癌に侵された一方の腎臓を摘出した
その後に運悪く他の臓器に転移、抗がん剤治療を始めたのだが
残った腎臓の機能も低下している上に抗がん剤が腎臓に大きな負担を懸けることから
人工透析をしなきゃならなくなるほどの治療は担当医とも相談の上で見送ってきたのだが
あまりにも腎臓の機能低下が激しくて癌に対する一切の治療が不可能になったということらしい
余命は長くても一年だと言われたらしい
本人は相当に大きなショックを受けて、いてもたってもいられずに電話をしてきたようだった

いろいろと話したいことがあるというので早めに自宅に戻った
本人は予想ほどは凹んでないように見えたが心の中はモヤモヤした気分で一杯だったことだろう
いろんな話をしながら、私が母親に伝えたのは
ひとつは心が開き直れるようになるまで凹んでいればいいということ
無理して元気さを装うことだけはするな、凹んでいる自分をダメな人だと思うなということ

ふたつめは私も含めて兄弟4人を立派に育てた上げた貴方は十分に生きた価値のある人生を歩んできた
孫7人の成長もその目で見守ってあげることができたじゃないか
そのことを自信と誇りに思って欲しい、そして、そんな自分の人生を自分で認めてあげて欲しいということ

みっつめは後悔のない余命を生きろ!ということ
好きなこと・楽しいこと・自分が生きてると実感できること、その三つだけをしてればいい
それ以外のことは何も考えなくていい、死ぬ間際まで後悔のない生活を送って欲しいと

母親にとっても私にとっても覚悟を決めた日になったのかも知れない
余生をどう生きるのかは母親の心が決めることではあるが
最後には「わかったよ、頑張ってみる」と言ってくれた
死に対する怖は経験したことがないので実感が持てないのだが、きっと見事な生き様を最後の最後までお手本として私や家族に見せてくれることだろう
私も今まで以上に必死にそれをサポートする、母親が生まれてきて本当に良かったと思ってもらえるように...

2009年01月17日@村田 富士男三者三様

昨日は予告通りソウルへ日帰りの弾丸ツアー
空港は行きも帰りも円高を利用した買い物ツアーの人で大賑わいでございました
本当に日本は不況なのかねぇとも思ったりするくらいでございました

ソウル/仁川空港での入国審査(パスポートにハンコを押してくれるとこ)の時の話です

外国に入国する時には事前に申請書を書きます
名前とかパスポートの番号とか、滞在期間や現地での滞在場所などを書き込むのですが
今回は日帰りのために泊まるホテルも何もないのでその欄を空白のままにしておいたら
その申請書を見た係官は怪訝な顔をして「どういうことなの!?」と訊ねてくる

私も含めて韓国語は全くだし英語も殆ど話せないおじさん3人組は
日帰りという日本語をどう伝えたのかというと
1人目は「Nothing Hotel」
2人はは「No Stay」
3人目は「Today Return」
日本人的には稚拙な直訳として伝えたい言葉は判ってもらえるだろうが
韓国のその係官に意味が本当に通じたのかどうかは不明である
3人は続けて同じ係官に対応してもらったので、係官も少しは察すれば良いのにとも思うのだが
とっさに反応したわりにはまぁまぁの出来か(笑)
「One Day Trip」というのが適切な表現なんでしょうかねぇ!?

ソウルでの商談は通訳の人がいるのでそれなりに意志の疎通はできるのだが
この二回の訪韓で通訳がいなくともカタコトの英語だけでも
なんとなく意志の疎通が出来ちゃうのは何か面白いし
人それぞれで英語の能力というよりも感性で言葉選びをしているあたりが垣間見えてとても面白いのである

2009年01月15日@村田 富士男はちゃめちゃ

年明け早々大忙しの毎日である

先週末にソウルへ2泊3日で工場視察へ行って
今週は月曜(トヨタカレンダーだから出勤日だったのだ)に
みっちり1日社内研修に参加して
翌日の火曜日から東京へ
水曜日に札幌入りの予定が新千歳空港が除雪作業で機体が羽田空港に来れなくて欠航
そのまま今日まで東京に留まって急に打ち合わせをひとつふたつ
夕方に久しぶりに会社に戻って幹部会議を終わらせて
その後お取引先と柳ケ瀬でノンアルコールで打ち合わせして帰ってきたところ

明日はナント日帰りで再びソウルへ
土曜に束の間のお休みを経て、日曜~月曜までは神戸へ現地調査に入ります

それ以降も京都・大阪・福井・東京とまさしく行商の旅なのである
確か僕は経理職人だったはずなんだけど...
こんなに会社にいない日が続くようになるとは
数年前には想像も出来ないはちゃめちゃぶりである

そうそう、眼鏡を遠近両用にした、パソコンの文字が見易くなった (^^)v
久しぶりに自宅の湯船に浸かって早く寝よう

2009年01月11日@村田 富士男人(物)と出会う

画像10_028.jpg韓国出張の目的はこのDaejin DMPという会社の工場を視察するためでした
当社が新規事業として取組もうとしているLED照明の生産をしている工場である
場所はソウル市街から車で1時間ほどの工業団地の中にありました
元々はレーザープリンターの基盤を作っていたとのことですが、新しい経営基盤としてLED照明の開発並びに生産を手掛けているということでした

LED照明の最大のメリットは消費電力量が極端に小さくCO2の排出量を大幅に削減できることから次世代の照明として現在注目されている製品です
日本国内ではイニシャルコストの高さからまだ敬遠されがちで殆ど普及していないというのが現状です
現地でおうかがいしたところでは韓国では国を挙げて既存照明からの切替をすると公式発表がなされたばかりとか

画像10_024.jpgお邪魔したDaejin DMP社は2001年からLED照明の開発に着手されたそうです
工場視察の後に訪れたショールームでお会いしたDaejin DMP社の社長はスタツフジャンパー姿で登場され
事業の着手当時には製品化するまでには膨大な時間とコストがかかることから
周りの方々から無謀なチャレンジだと揶揄されたり、真剣に心配してくれる声が沢山聞こえたとおっしゃってました
でも、製品化にこぎ着けた現在、その製品の高い評価とともに自らの選択した道は間違ってなかったと胸を張って話しておられました
通訳の方を通じてしか会話は成立しないけれど、時に真剣な眼差しで、時には穏やかに話される社長の姿は言葉の壁を越えて感じさせてくれ何かを持ってらっしゃる方でした

パイロット的ではありますが既に世界数十カ国で販売を展開しておられるのですが
隣国の日本で積極的に展開しなかった理由は照明に関する要求レベルの高さと
既存メーカーと太刀打ちできる実績を積み上げてから参入する予定だったとのこと

今回、当社の本業である空調・給排水衛生とは少し畑の違う分野に取組もうと我々が考えたのは
何よりも製品のレベルの高さとその価格優位性だったのだが
訪韓して社長様を始めとするDaejin DMP社の方々のLED照明に対する真摯な姿勢と熱い思い入れを肌で感じることができました
まさに現地に出向いて人と出会わせてもらうえることが一番大切なのだと再認識させられ
当社としても全力を挙げて取組んで行きたいと感じた次第です

当社の販売するLED照明のWEBサイトは近日中に正式UPを予定しています

2009年01月09日@村田 富士男韓国の朝

CIMG0008.jpg今朝は韓国に滞在しています
新しく取り組む事業の生産体制を確認するために韓国までやってきました

今日は最高気温でも氷点下という極寒の1日となるんだそうで
生まれてこのかた一度も身につけたことのないパッチとインナーベストという寒さ対策を万全に期してそろそろ出発です

2009年01月07日@村田 富士男人間の覚悟

久しぶりの乱読シリーズである
「人間の覚悟」出版:新潮新書 著者:五木寛之 を読んだ
"とうとう覚悟を決める時が来た..."という言葉で始まる
リーマンショックから始まった世界金融危機の煽りを受けて日本経済が大打撃を受けていることは前回も書いた
著者は諦める覚悟をすることで惑わされないで生きていけると説いている
諦めるとは「明らかに究める」といい、希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受けとめることであると書かれている
私的には諦めると表現するよりは依存体質若しくは期待体質からの脱却だと受け止めている
きっと誰かが助けてくれる、きっと誰かが何かしてくれる...
そんな期待してしまう心の持ち主から卒業しましょうという感じか

期待=ファンタジーだと心理学の講師でもある谷口さんから教わった
ファンタジーとは夢の世界で、それが現実化する可能性は限りなく低い
なのにその夢の世界の御伽噺をあてにして日常生活を組み立てているのだとしたら
それは落胆の連続の日々となることだろう
言い換えれば他者に依存したり期待したすることを諦める覚悟とも言えるだろうか

又、人は必ず何かの犠牲の上に生きていて誰しもが悪人なのだと自覚しようという件があった
これに関しても、一般には誰しも自分は善人で良識人であると思い込んでいる
仮にそれと違う評価を受けた時に心が揺さぶられることから脱却しようというのが本質的に言いたいことのような気がした
悪評を受けると誰しも気分は良くない、心も頭も平常ではいられなくなるのだ
そんな事態を避けるためにそもそも自分は悪人なんだと自覚しようと言ってるのだと(私は)理解する

そうした上で生きた証となる成果や意義のある人生だけがすべてじゃない
ただそこで生きているということだけでも実はとっても大変なことでそれだけでも価値がある
気付かないうちに必然的な他者との関わりの中で必ず何らかの影響を与えているもので
「如何に生きるのか!?」なんて考えなくとも日々を平穏に暮らせることが何よりも大切なのだと
これも私の理解はやや違う、意義や価値を自分で自分に与えることが出来る人ならば
他者がどんな評価をしようが一切お構いなしで平常心が保てるなのである
でも自分を自分で評価して存在価値を自分で見出せる人は決して多くなく
他者から評価されることで自分の存在価値を確認している人が大多数なのだ
だから悪人だと言われると過剰に反応してしまうし、他者に(評価をしてもらう)依存から脱却できないのである

自らの人生を成功と考えるのも失敗だったと後悔するのも本当は全ては自分が決めている
他者は自分以外の人生の良し悪しに関して最後まで関わってくれるほど自分以外の人に興味なんて持っていないものなのである
そんな自らの判断を鈍らす要因は事実から派生する自分の解釈(心や思考の動き)なのである

自分なりの理解(解釈)では、冒頭の「事実を真正面から受けとめること」の真意は
まさしく解釈で動揺せずに事実とは何かを探し出す目を見つけようということのような気がした

2009年01月07日@村田 富士男警戒(心)

長いお休みも終わり一昨日から日常が再開されました
年末の特番を見てついつい過去のシリーズを制覇してしたくなってしまったのが「人志松本のすべらない話」である
早速レンタルショップへ行っていくつか借りて来て楽しんでいました

中身は何のタメにもならない何の教訓も生まない何の生産性もない話ばかりで、
唯一得られるものがあるとすればパネラーの人を引き込むトーク術ぐらいのものではあるのですが
お気楽に笑って過ごすには適当なDVDでした
今年、高校受験を控える息子も生き抜きに丁度良いと気に入っておりました

話は180度変わってちょっと暗くて難しい話
年末年始にさかんにニュースネタになっていたのは、突然の解雇を通告され住む所もなくしてしまった方々である
政治家さんやエコノミストや評論家の皆さんがそれに関していろんなことをおっしゃっていたのだが
(私の視聴した範囲では)どの方の話もなるほどなぁ~と頷けるものがなかった
そうなった原因があーだこーだと説明してもらっても何も得るものはないし
「安心活力」だと総理大臣が発表したところで、安心もできなきゃ活力も生まれてこないのである

なんだかとても違和感を覚えているのである、以前に「意識≪想像」というエントリーを書いたのだが、現実(意識)の厳しい状態や環境を喧伝しすぎていて、それらを受け止めている人たちが想像(力)を働かせることすら出来ないように仕向けているような気がしてならない
というか、大勢がそっちを向いたら一斉にそれに倣ってしまう日本人の特性が現れているような感じがするのだ
それは情報を出す側も受け取る側も同様で日本全国が鬱状態に陥っているかのようだ

想像という活力を生み出そうとする発言は全くと言っていいほど見ることが出来ない
どこかで誰かがそんな発言を繰り返しているのかも知れないが
私の知るところではそれらは不況だぞ!厳しくなるぞ!の大合唱にもみ消されて聞こえてこない
経済の大きな流れを無視することは出来ないのだろうが、
肌身で感じることの出来る景況感は受け取り方次第でどのようにでも変化をさせることが出来る

100年に一度の大きな変革期だと言われ、先を読んで警戒心を強めることはとても大切なことだとは思うが、過剰な警戒(心からくるアクション)は結局自らの首をも絞めかねない
私は多くの人と比しても相当に警戒心が強い方でそれを武器にすらしている自負がある
現在の過剰な警戒心が生み出している様々な閉塞状態を私は逆に警戒しているのである
(私が)警戒心を解き放すのに必要なのは最悪の事態を想定してそれに耐えられるか否かを判断することだと経験で培った
現状で想定される最悪の事態ってのはどんな状態を企業も個人もイメージしているのだろうか?
それはとても耐え難く受け容れ難い事態なのだろうか!?

ややオーバーな表現だけれと日本人全員が住まいを失くして路頭に迷ったり、餓死者が続出する...なんてことには絶対にならないだろう(と私は思う)
よく言われることではあるが「上を見たらキリがない、下を見てもキリがない」のである
勝手な推測でしかないけれど、ずっと上のままでいたい若しくは今の生活水準を下げたくない蓄えた富を手放したくないという一部の方々のベクトルが
現在の強烈な警戒を煽っている本質のような気がしてならない

そんな話ばかりを聞かされるなら、上記に紹介した「すべらない話」を見てお気楽に過ごしていた方がましな気がする

2009年01月01日@村田 富士男新年あけましておめでとうございます

daikennewyear.JPG

本年も変らぬご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます

平成21年 元旦  村田 富士男

2008年12月31日@村田 富士男今年の反省 その2

今年の反省その1を書いてからあれよあれよと数日が経ってしまい大晦日になってしまいました
予定では4回くらいに分けて書くつもりだったのですが、年が明けてから「去年の反省」ってのも変なので今回にまとめて書いてみます

後半の仕事で最も大きい出来事はやっぱりキャロラインリクエストの発足でした
仕事とプライベートを含めてかれこれ6年位のお付き合いになるno.6さんとその教え子であるsol君との3人で事業を始めた
WEB作成だけでもないしソフト開発だけでもないしデザインだけの会社でもない
本業は何なの!?と聞かれても私自身もメンバーの2人も多分明確に答えることが出来ないかも

個人的に感じているのは自分たちが格好良い!と思える仕事をしたい会社って感じでしょうか
そんな甘い考えじゃこの世知辛い世の中で通用しないと言われてしまうのかも知れませんが
個々のポリシーをいろんな意味で保持し続けなければ顧客に喜んでもらえる仕事なんて出来ないのである
我々が必要な業務と思っていただけるのならどんな仕事でも喜んで請けさせてもらうことでしょう
キャロラインリクエストでは実質戦力外の私にも来年は活躍出来る場面がひょっとしたら起こるかも

もうひとつの大きな動きはここ1カ月張り付きで仕事をしている新規事業であるのだが
詳細は年明けの早い段階で発表させてもらいます

本業の設備工事業に加えて上記のような2本目3本目の事業の柱を構築しようと様々に試みてきた1年でもあったのだが
何よりの成果は私の精神的なテーマとしている「溢るるパワーを」を1年を通じて実践し続けられたことと、それを感じ取ってくれた仲間が沢山いることである
別に私が誰かを変えたとか蘇らせたなんていう自慢話ではなくて
私の周りの人たちの思いや雰囲気や言葉や姿勢がとても心地良く感じられるようになった
同じ感想をきっと多くの社員の皆さんが感じていてくれる自信がある
そう感じられることが今年の何よりの収穫なのである

今の自分がおかれている環境を今年の年初には全く予想すら出来なかった
来年はより一層厳しい経済環境が続くのは必至な状況の中で、どんな1年を過ごすことになるのかは想像も出来ませんが
今年より更に充実した1年を過ごしている自分でいられることを信じて今年の反省とさせていただきます

2008年12月27日@村田 富士男今年の反省 その1

まだ月曜の午前中までは会社があるけれど、今年はあまりにもいろんなことがあり過ぎたので早めに総括をしてみる

今年の前半の仕事はやっぱり新CIの構築作業でした
CI構築を思いついていたのは随分と前からでした、建設業の特徴でもある受注産業という側面と、競合他社が多くてダンピング競争に陥りやすい業界であるということ
更に技術的な差別化が難しい職種ということ、業界を支えてきた公共事業が減少の一途を辿っていること等
当社を取り巻く環境はとても厳しい状態です

mark.JPGそこで生き残り策としてCI構築を通じて当社の強みを再認識する作業と
今後の当社の売り物を発見し、それを武器にしていく啓蒙活動を実施したかったのです
全社員への様々なアンケートやヒアリングを通じて、個々の社員の正直さや真面目さを何よりも実感しました
そして、それを全面にアピールするということを会社の柱とすることにしました
それが~まっすぐカンパニー~大建工業なのです
ここで言う「まっすぐ」とはトップダウン的な強制したキャッチコピーではなくて
それぞれの「まっすぐ」を社内のみならず社外(顧客)にもアピールして
仕事だけのクールなお付き合いではなくて人と人の繋がりを大切にしようというものです
それぞれの「まっすぐ」をそれぞれの表現方法で伝えるわけです

そんな思想は実は簡単に社内に伝わるものでもないし実行できることでもありません
自分をアピールすることを抑えられてきた人たちというのは意外に多いのです
何も障害がないように見える人でも気付いていないだけで、言われたから即実行しよう!なんて出来るものではないのです
そこで事前に社内環境の改善というのが必要になります

その前提を創り上げるために実施したのが心理学研修でした
現在も社内で中級の実践コースを実施していますが、自分の強みと弱みを理解出来ていないと
外部に向けて「自分のまっすぐをアピールする」なんて絶対にできないのです
仮に情報発信が出来たとしてもそれは「自分のまっすぐ」ではなくて
社会に適合するために長い年月をかけて作り上げてきた(本心ではない)仮の自分の姿なのです
中には自分の弱さを悟られまいと対外的に強き一辺倒の人もいれば、なりたい自分となっちゃいけない(と決めた)自分が矛盾していて結果的に何もしないことばかりを選んでしまう人
裏切られることが恐くて人と真摯に関われなくなってしまっている人
誰しも何かしらの(無意識の)ブリーヴを抱えているのです
心理学を学ぶことで自分の弱みも強みも理解しているからこそ、真の自分を包み隠さず伝えることが出来るのです
そこで初めてコミュニケーションが正常に機能し始めるのです

シンボルマークのモチーフになった「α」はそんな個々の成長の先にある新しいコミュニケーションを期待して策定したものです
今の自分に更にプラスαなエネルギーを身につけて自分をアピールし続けること
そんな思いのひとつがこのコミュニケーションという個人ブログをコーポレートサイトで実現しているのです
様々な現場で当社の社員がどんな言動を取っているのかまでは推測がつきません
このログを読んでいただけた方もそうでない方も「まっすぐカンパニー」って何!?って当社の職員に聞いてみてください
きっとはにかみながらも何かしらの回答をしてくれるものと私は信じています

当社は技術力で同業他社を圧倒することは不可能でしょう
でも人間力なら胸を張って自慢することが出来る、そんな企業に一日でも早くなりたい!
そんな思いが新CI構築の本当の狙いでした

2008年12月22日@村田 富士男思い知らされて...

まだまだ仕事が山積で新年を迎えるという気持ちには到底なれてはいないが
やっと来年用の手帳を仕入れることが出来た

私が愛用しているのは某生命保険会社のもので、過去数年にわたって同じタイプのを使っている
手帳が新しくなるとやっぱり年の瀬も迫ってきてるのねぇと思い知らされることになる

こんな書き出しだと続きで今年の反省...みたいなノリになりそうではあるが
今年の振り返るのはまだまだ先、御用納めも終わった大晦日か大晦日イヴにしよう
それまでの間にもどんな刺激的な出来事が待ち構えているかもしれないからねぇ

話は変わりますが、世の中は全くと言って良いほど明るい話題がない
あのトヨタ自動車が連結決算ベースで1500億円の営業損失を計上する見込みを発表した
勝ち組の象徴的な企業ですらそんな状態なのである
当社のような地域に根ざした中小企業に打つ手があるのだろうか?と真面目に思う
とはいえ業績悪化を指を咥えて眺めているだけでは埒が明かないし
お国が救いの手を差し伸べてくれるとも思えないのである

今、我々に何が出来るのか!?
答えはどこにもないし見つかることもないだろう
ただガムシャラに毎日を生きていくしか方法はないのだろうと思う
新しくなった手帳がそんな予定で一杯にするために必死に動き続けるとかないのだと
思い知らされて覚悟をするのである

2008年12月21日@村田 富士男地球温暖化防止の関連数値

もうすぐ正式に発表するのですが新しくエコ製品を販売することになりました
そのための資料作り等を現在手掛けていて様々な数値が関連性が見えないまま羅列されているので
今回のエントリーは私なりに関連数値をもっと身近で実感の持てる基準におき直してみます

皆さんも聞いたことがあるでしょう「チームマイナス6%
同ホームページでは「めざせ1日1人kgの削減!」を呼びかけていますが
何をどうしたら1kgを削減できるのかを知っている人はなかなかいません

京都議定書で日本が世界に約束した温室効果ガス排出目標は1990年の総排出量(1263.3百万t)の-6%です(出典:JCCCA WEBより)
2006年の温暖化効果ガス排出量は1340.1百万tで1990年を基準にして6.2%の増加という結果になっています
その温室化効果ガスの大半(94.9%)が二酸化炭素となっています
京都議定書で定めた目標値を達成するためには2006年の総排出量基準で152.6百万tの削減が必要になります
単位をkgに直すと152,600,000,000kgとなり、電気を作るために排出される二酸化炭素量の係数0.452kg/1kWh(環境省「平成17年度の電気事業者別排出係数の公表についての中部電力排出係数より)で消費電力量に換算してみると約337,600,000,000kWhとなります
数値があまりに大き過ぎて実感が湧かないので60Wの電球を1年間1日8時間利用した場合に換算すると
約1,927,000,000灯の電球を削減を削減すれば良いことになります
日本の人口を1億2千万人だとすると、一人当たり約16灯強の電球を使わない場合に初めて目標値が達成できることになります
家族4人で暮らしている場合で考えれば(4人×16灯=)56灯の灯りを無くすことは日常生活に多大なる影響を与えることでしょう

ちなみにチームマイナス6%が目指す「1人1日1kgの削減」を数値化すると
120,000,000(人)×365(日/年)×2.2(kWh)=96,360,000,000kWhとなり
電力消費量で換算した場合に必要な約337,600,000,000kWhには遠く及びません
これは個人としての省エネの目標値として捉えるべきなのでしょう

少エネに関する具体的な数値のイメージが少しは湧いたでしょうか?

2008年12月09日@村田 富士男口説き文句

私の住むエリアにやっとNTTの光回線が布設されるらしい

らしい...というのは、いろんな代理店が入れ代わり立ち代わり電話や訪問してくるのである
決まり文句は次の通りである
「お客様はインターネットをお使いでしょうか?」
使ってるよと言うと...
「回線は光でしょうか?」
この地域はADSLしかきてないじゃんと言うと
「今回、光回線が開設されるんです、ADSL回線よりも数段スピードUPしますよ」
別に今のスピードでも不自由はしてないんだけど...と答えると
「お客様、今なら接続工事代が無料になるんですが...」
ウチは今のままでいいから光なんていらねぇよと返すと
「他の皆様は加入させってますよ」
それで何?隣が加入したらウチの加入しなきゃいけない決まりなの!?
「いえ、そういうわけではないのですが...」
ほぼ100%このパターンで撃退をしている

何よりも「他の皆様は...」というのは日本人にとって最も心揺さぶられるひと言なのである

他人と違うことを恥ずかしいことと思ってしまう文化が日本には根強く残っている
それは幼少期から躾という名の下に身に染み込んでしまった習慣というかモノの受け止め方である
だから未だに、その深層心理を付いた口説き文句がはびこっているのである
ある意味では相互に束縛したり支配したりするための言葉遣いだ

その文句のスキームを理解していない場合に
「あら、じゃあウチもお願いするわぁ~♪」となるのかどうかは知らないけれど
少なくとも私はその言葉を聞くと逆に商品に対する自信のなさを喧伝しているようで
全く購買意欲は湧かないのである

テレフォンガール(最近はテレフォンミセスも多いけど)のデスクの上には
こう来たらこう返せ、あぁ来たらこう返せ的なカンペがあるのだろうけれど
そこにもし、最後まで言うことを聞かない客がいたら
「他の皆様もそうなさってますよぉ」と言いなさいなんて書いてあったとしたらゾッとするのである

2008年12月06日@村田 富士男Wエコ

年末だからって訳ではないけれど大忙しなのである
確かに忘年会も既にいくつかこなしているのも事実ではあるのですが

以前にも書いた新しいプロジェクトを立ち上げるために東奔西走の日々を過ごしている
予定では今月は子会社のキャロラインリクエストで当サイトのリニューアルに専念するつもりでいたのですが
思わぬ新ビジネスが舞い込んできて、キャロラインリクエストも予定を全て放棄してその立ち上げ準備に専念することに

詳細は(多分)来週中にはWEBサイトでご案内が出来るようになる予定です
キーワードはWエコ(エコロジー&エコノミー)である
エコロジーに関しては当社は「身の丈に合った活動」を是として思考していたのであるが
思わぬ展開で地球規模の環境保護に少なからず寄与することが出来るようになるかも知れないのである
新サイトの開設を楽しみにお待ちくださいませ

それはそうと、今日は楽しみにしていた立川志の輔さん「志の輔らくご in PARCO 2009」の前売り券の発売日
ローソンチケットで午前10時からの発売だったのだか、たった十数分で完売だった模様
残念ながら私はチケットをゲットすることが出来なかった (>_<)
知らないだけで落語ファンって日本に(きっと)大勢いるんですね

2008年11月27日@村田 富士男成長

昨日、ある出来事があって僕のトラウマが発動した
瞬間的に昔の自分に戻って、一方的に且つまくし立てるように持論を展開している自分に気付いた

昔なら受け容れてもらえなかった自分の意志をいつまでも引きずって
結果的に拒絶されても受け容れてもらえても、自分の中にはフラストレーションだけが残るということがよくあった

でも、昨日は数分もしないうちに我に返ってネゴシエーションを進めて
結果として自分の欲しかったものを手に入れることが出来た

以前にも書いているが私のアイデンティティは「支える」である
支えたいのに支えられなくなったりすると無意識が瞬時に反応して
俗に言うキレた状態にまで陥ってしまい、積み重ねてきた全てを投げ捨ててしまうことも厭わなくなる
ご破算
昨日もそんな瞬間だった、(くどいけれど)昔なら全てを捨ててご破算になっちゃってたかもね

それがそうならなかったということはこんな歳になった僕でも
少しぐらいは成長しているんだなぁと感じた出来事でございました

2008年11月24日@村田 富士男MONSTER


MONSTER完全版(全9巻)著者: 浦沢直樹 /スタジオ・ナッツ 出版社: 小学館
6さんから借りてきて、とうとう読み始めてしまった
コミックなんだけど、一度ハマっちゃうと読み終わるまで落ち着けない性格なので
多分、数日は寝る間も惜しんで読み耽るに違いない

帯には「コミック史上最高のサスペンス」とあって、中身もその謳い文句に違わぬほど面白い
とても「YAWARA!ヤワラ(全29巻)」を描いた方と同じ方とは思えない展開である
(といっても、私はヤワラは読んでませんが... m(__)m)

話は突然変わりますが、仕事でもMONSTER案件を抱えているのである
ここ1カ月の間である程度は目処が立つことでしょう
そしたら...、又、別の顔が増える(笑)、こうなったら目指せ!二十面相だな♪

そのうち、私自身がMONSTERになっちゃいそう

PS.「全社員からのメッセージ」が出揃いました
これはある意味で快挙だと私は思っています
全員が「ウチへおいでよ!一緒に働こう!!」と(半ば義務だとしても)言える会社は滅多にあるもんじゃないと確信している
健全な会社なら普通のことかも知れないけれど、それを実行することはとても難易度が高い
マスターベーションではありますが、これもMONSTERなことなのかもと自負しています

そんな会社にいられることは私にとっては大きな誇りです

2008年11月20日@村田 富士男○○を長続きさせる会話術


「夫婦を長続きさせる会話術」 出版: 小学館 著:津田 妙子

今朝の電車の中でこの本を必死に読んでいる20代後半の男性を見た
私は読んだことはないし(多分)読むこともないだろう
2年前に発売された書籍である

出版社 / 著者からの内容紹介を読むと...

夫のタイプ別に夫婦間の話し方のコツを満載 団塊世代の熟年離婚が急増しています。 本書は、仕事一筋だった夫を家庭に迎え入れる対話術の本です。 夫のタイプ別話し方実例集、上手に夫婦生活を送るアドバイスが満載。 ちょっとしたコツをつかめば、熟年夫婦はもう一度、新鮮な夫婦に生まれ変わります。 この1冊で夫婦ルネッサンスを迎えてみませんか?

と、あるので購買ターゲットは主に女性のようだ
ではあの青年は一体どんな目的でそれを読んでいたのだろう

・結婚を直前に控えて母親が読むように言われた(お父さんのようにはならないでね...)
・両親が熟年離婚の危機だ(おかん、今更誰ももらってくれへんぞ!)
・本当は本人が離婚の危機だ(女房の言葉が外国語に聞こえる...)
・文化人類学を研究している
・表紙はそれでも中身は○○小説である(それは内緒♪)
・誰にも言えない何かしらの秘密がある(これも内緒♪)
(なんか、鉄拳っぽい書き方になっちまったな)

と、様々な考えられるのだが

私の瞬間的な感想は、夫婦の間まで誰かから話し方を教わらなきゃならないのものなのかねぇ...だった
夫婦は長い時間を共にすることで当人同士しかわからない阿吽の呼吸が生まれる
それが行き過ぎたり勘違いしたりすると、まさしく熟年離婚の危機に瀕することになるのだが
それにしても、誰かに教わったことがそれの解決策になるのかなぁと思う
そもそも、夫婦でいることや、それを長続きさせることにどんな意義があるのか?という別な問題提起になるんじゃないの?と思う

世の中にはマニュアル本が数多でている、私が思うのはその教えを実践する実行力よりも
テクニックを教わろうとする安易な心構えの対策の方が必要な気がしてならない

2008年11月19日@村田 富士男勿体無い

今朝はいつも通りに駅の改札口を抜けてホームへ歩いていた
その時にフッと肩が軽くなって、同時に肩に架けていたブリーフケースが床に落ちた
愛用しているヒジネスバックはビクトリノックスという会社のモノで丈夫で長持ちが売り文句だったはずなのに...

201119.jpg落ちた原因はショルダーストラップの留金の突起部分が磨耗して金具から外れるようになっちゃってました(写真参考)
塗装の剥げ具合からも3年間の歴史と荒っぽい使い方をしてるのねって感じではありますが...
鞄本体には何の問題ないので、たかがショルダーストラップのために無駄にするのも"勿体無い"ので、ネットで探してみた

そしたら、ちゃんと代替品があるもんなんだなぁ
同じメーカーのものではないけど、十分に代替品として機能を果たしてくれそうである
ちなみにお代は2000円、ブリーフケースごと変えていたらきっと数万円は掛かっちゃうだろう
浮いたお金は忘年会用に取って置こう(って、結局使うんかいっ!)

以前なら、間違いなく新しいカバンに買い換えていた
でも、愛着があることもさるとながら、私の中に"勿体ないオバケ"が現れてパーツ交換で済ませようと思ったことが、自分でも驚きなのである

実は「勿体無い」という発想は日本特有のものだと最近読んだ本のどれかに書いてあったことを思い出した
試しにネットの和英辞典で調べてみてもジャストフィットする単語は英語に見つからない
世の中はエコロジーの時代である、日本の「勿体無い」という言葉(というか精神)が「Fujiyama」や「Geisya」(例えが古過ぎるな...)や「Otaku」のようにそのまま通じる時代がやってきたら楽しいと思う
日本人以外には理解されていない日本文化(精神)の素晴らしさはまだまだ沢山あるに違いない

2008年11月16日@村田 富士男異物


「イカの哲学」集英社新書 著者: 中沢新一波多野一郎 を読んだ

共著というよりは波多野一郎さんが1965年に発表された「烏賊の哲学」に中沢新一さんが新たなる解釈を加え、今の時代に失いつつある生物としての人のあり方を問うた本です

大きなテーマとしては戦争を回避できない人のメカニズムを(私には)ちょっと難しい言葉で解説してらっしゃる
個人的には戦争や紛争という人と人が殺し合うような出来事を身近なモノとして受け止められない世代ではあるが
そんなことは身近に起こらなくとも、何があっても回避すべきことだというのは、物心付いた人なら普通に導き出せる結論なのある

なのに、戦争は未だになくならない、この大いなる矛盾はどころからくるのだろう!?的な疑問はこの本を読んでくださいませ
私にはそれよりも「異物」というワードがとても気になった

生物は基本的に固有種を死守するために異物の混入を検知して排除するシステムをDNAの中に持っていて
そのシステムが唯一生殖という瞬間にだけ停止する
もっと判りやすく書けば、卵子は精子を受け容れて新しい命が誕生する瞬間である

人は知能が異常に発達したが故に地球上の生態系を破壊し、さらには自然までも回復が困難なまでに自らの暴利を貪った
ヒューマニズムという「人間中心主義」が正しいものとして傾倒して歯止めが掛からなくなった
波多野一郎さんは、神風特攻隊員~シベリア抑留~アメリカ留学という経歴の持ち主で、
アメリカ留学時代の生活のためにしたアルバイトとして、イカの水揚げ作業を手伝った
沢山のイカが水揚げされる中、中にベルトコンベアーから零れ落ちるイカを見た時に
神風特攻隊員の一人だった自分とそのイカとの類似性に気が付いた
それを「烏賊の哲学」として出版されたのである

イカだって、現に命があって海を回遊していたのである、それが今は人に食されることを運命と諦めてベルトコンベアーに乗せられている
神風特攻隊員だった(過去の)自分も、敵艦に爆弾もろとも突撃して命を落とす覚悟をしていた
イカの知能が覚悟という意志を持てるかどうかは定かではないが、擬人化して考えれば有り得ることなのかも知れない
イカも自分も「実存」しているひとつの命であることには変わりないという悟りのようなものか

イカは人にとってみれば明らかに「異物」である、でもそのイカの実存を人は感じることができる(可能性がある)
この異物と判断することと類似性を想像する力をどちらも人は持っている
中沢新一さんはその「実存」(戦時の敵に命があること)をより意識することでしか本当の平和(人と人が殺しあわない状態)は訪れないと書かれている

人間中心主義という思考は時として「自分中心主義」へと変化していることに気づかない
場合があるということなのである
人の都合の良いように...が自分の都合の良うに...と変化した瞬間を人は感じ取ることが出来ない
それは何も戦争だけではなくて、日常の生活の中にでも溢れていることなのである

それは「異物」の排除というDNAのメカニズムそのものであり、「異物」を受け容れることができるはずの人はその大切な機能を顧みなければならない

図らずも難しい話になってしまったのだが
本当は「異物」の代表として私は注射器をイメージしていた
それは中一になる娘が大の注射嫌いで、注射と言われただけで泣くわ叫ぶはの大騒動なのである
ほんの一瞬チクッとする程度の注射でどうしてそこまで...と疑問に思っていた
その理由が異物の強制的且つ意識的な混入に対する拒絶反応だったのだとやっと理解したのである
異物を受け容れられるのは理性である、異物を拒絶するのは動物としての感性なのだろう
そういう意味では我が娘は私に似ず感性に満ち溢れた子なのかも知れない

2008年11月15日@村田 富士男竣工検査

20111301.jpg一昨日は竣工検査であった
といっても、本業の設備工事ではなくて当社が所有する賃貸マンションの改装工事が終わったので、その竣工検査なのであった

viewimg.jpg物件は岐阜市本郷町という場所にあって全面道路はケヤキ並木がとっても綺麗な場所である
長良川も目の前で住環境としてはとっても素晴らしいのである、ペット飼育も可としたのでそれなりに入居者はいるだろうと、今のところは捕らぬ狸のなんとか...である(笑)

20111302.jpg20111303.jpg

左の写真は1Kの部屋を窓側から撮ったもの、右の写真はかなり大きなな1LDKをキッチンから撮影したもの
携帯についているカメラだからアングル的にはこれが限界といったところ

工事期間は約二ヶ月余りで、工事関係者の皆様には大変に頑張って頂いて、完成までこぎ着けることができた、この場を借りて厚く御礼を申し上げる次第である

やや話はずれるが、本来であれば本業である設備工事で収益を上げられれば、何も賃貸業を営む必要はないのだと本質的には思っている
でも、バブル崩壊以後建設業界は長~い長~~いトンネルから脱しきれないままの状態が続いているのである
更に、昨今の経済状態の悪化は更なるダメージを業界全体に及ぼすことであろう

仕事量が激減し、仕事欲しさにダンピング競争が激化する中でどうやって社員を養っていくのか!?というのは企業としては命題になっているのである
農業や介護事業などへの進出を目論んだり果たしたりしている企業も決して少なくない
でも、当社は設備工事を通じて社会に貢献するというスタンスは、当社を必要としてくれるニーズがある限り絶対に手放さないという決断をしている

当社の現在は長年のお客様からの信頼によって築き上げさせて頂いている
時代や環境の変化はあろうとも、それを守り切るための施策を模索して、死に物狂いで実践していかなければならないのである

賃貸業はそんな当社にとって、今は必要なプロジェクトなのだと思っている

2008年11月12日@村田 富士男財産

岐阜のあるプロジェクト絡みで以前の勤務先時代にお世話になっていた人に会った

事務所の前まで車で行くと中から「誰が来たんかいなぁ」といった感じでお目当ての社長が駐車場まで出てきてくれた
最初は本当に誰が来たのかが判らなくて訝(いぶか)しげな顔をしていたが、私が車の窓を開けて名前を告げると
「おぅおぅ、久しぶりだねぇ」と一転して顔を綻(ほころ)ばして出迎えてくれた
「ちょっとお時間りますか!?」と聞くと、「まぁ、車を止めて事務所に入っておいで」と迎え入れてくださった

車を停めて事務所に入ると懐かしい方が一人二人...、何故だか皆さんの開口一番は「太ったねぇ~」であった(涙)
転職してからは、パーティー等で顔を合わすことはあったのだが
対面でゆっくりと話をするのは約4年振りである
前の勤務先の会長が亡くなったのが3ヶ月ほど前、その時にその方は葬儀委員長をなさっていて
その節は大変でしたねぇという話から始めた、その後も短い時間ではあったけれどいろんな話をしながら
私が目的としていたことも快く了解してもらって席を立った
帰り際に車の誘導までして頂いて、最後にニコッと笑って「又、遊びにおいでな」と見送ってもらった

当然ではあるが、職を変った今は利害関係も何もない
でも、突然の訪問にも関わらず温かく迎え入れてもらえたことは私にとっての何よりの財産なのだと痛感している
仕事(会社)を変って最も大きな損失は実は人間関係なのだと言われる
会社というバックボーンがあって、そこの担当者だからお付き合いをするけれど
転職をすれば会社と言うバックボーンが無くなる訳で、従前のような対応をしてくれなくなるという話だ

でも、幸いにして、私の場合は誰一人として職場が変ったことで対応が変った人はいない
これは今更ながらではあるが私の「最大の誇り」であり「最大の財産」だよなぁと思うのである

開口一番の「太ったね」の後には必ず「相変わらず元気にしてそうだね」とおっしゃって頂ける
その元気に見える私(のオーラ)をいつまでも続けることが
お世話になったのに図らずも縁がなくなってしまった方々への恩返しのような気がした

2008年11月10日@村田 富士男メッセージ

今まで「先輩達の声」として、ほんの一部の社員だけのメッセージを新しい仲間に向けて発信していたのだが、
この度、それを「全社員からのメッセージ」としてリニユーアルしました

このリニューアルは全社員で新しく仲間になろうとしている皆様に対して
今、我々が体感している大建工業の社員として業務に携わる素晴らしさをお伝えして、全社員で迎え入れたいとの想いからです
又、職場の真実を伝えることが「内定取消し」にも書いた入社後のミスマッチを最大限になくすことが出来るはず...との思いからです

更に、当社は中途採用の方々も大勢いらっしゃいます(私もその一人ですが...)
別の会社で蓄積した知識や知恵やパワーを発揮できることも我が社の強みのひとつだと自負しています

弊社の土井が「どうせ会社の良い事しか書いてないんでしょ!」と思われると思いますが、全くないとは言いませんがほとんどが本当のことです。..だと思います。...そうかなぁ 」と書いているように、
読んでいただけた方には些か作り話的に受け取られる部分もあるのかも知れません
しかし、個々のメッセージ然り、ホームページ上に掲載するために編集・加工は一切行っていませんし、今後もする予定はありません
ネガティブなメッセージがあったとしても、それもそのまま掲載する覚悟でいます
それが我が社の現在の姿のひとつだとするのなら隠しても仕方ないと思っているからです

どんな組織でも100%完全な組織はありません
でも、組織員の大半が同じ方向性で邁進していたら、組織全体も自ずとその方向に進んでいくものなのです
そういう意味で、まだ半数にも満たない社員からのメッセージではありますが、
少なからず現在の我が社を反映しているメッセージが多いと自負しております

全ての社員のメッセージを掲載できるのがいつになるのかは判りません
でも、全社員で新しい仲間を迎え入れるんだ!そのために伝えられることは伝える!というアクションは完逐するまで社内で継続していきます

2008年11月07日@村田 富士男内定取消し

大学4年生の就職内定「取り消し」相次ぐ、金融危機で」asahi.com(朝日新聞社 10/29)

ここの所の経済環境の悪化で内定取消しが相次いでいるようだ
様々なメディアでも同様の報道がなされている

当社は内定取消しの予定は全くない、それどころか来春の新規学卒者をまだまだ募集しているくらいである
企業規模や知名度の低さもあり、求人活動に苦戦している当社にとっては
一面喜ばしいニュースではあるが、反面苦々しい思いで報道を受け止めている

企業には企業の理念や戦略や考え方があるとは思うが
就職を希望した学生さんにとっては人生の中でのひとつの大きな岐路だったはずなのである
それを「入社して頂いても希望の部署にはつけない...」とかなんとか
いかにも私は悪くないと言わんばかりに理由を並べる

そもそも、社員の希望に完全にマッチした仕事なんてのが存在するのかすら怪しいわけで
学生時代に本当に自分のなりたい職業や職種を明確に持てる人なんて滅多にいないし
実際の仕事がどんな業務なのか全てを知ってるわけなんて絶対にない

脳あるヒト心ある人」の中で養老先生は「自分の好きなことを職業したい」なんて言う奴はけしからん、「仕事を好きになるように自分を変える」ことの方が大切なのだと書いてらっしゃった

更に、当社に営業に来た某求人サイトの担当者にこんなことを聞いた
「アナタは今の会社に定年退職まで勤めますか!?」と
まだ社会人一年生の彼は即座に「いえ、その気は全くありません、いつか絶対に転職します」と
彼はその理由をいくつか並べた、入社前と仕事の実態が大きく違う、会社が閉鎖的でモチベーションが上がらない、改革の声を上げられる環境もない...と

会社に入ってから「こんなはずじゃなかった...」と思う人が大半だろう
特に社会人経験のない学生さんにとっては企業を品定めする目も養われていないし、体験もしていない
ほぼ100%に近い確率で「こんなはずじゃなかった...」と思うに違いない
だから、希望がどうのこうのとかという企業サイドの内定取消し理由は本当は全く的を得ていない言い訳にしか過ぎないのである

確かに、景気後退で現従業員のリストラをしているのに、新規採用なんて出来ないよという企業論理も理解は出来る
問題なのはここ数週間の経済環境の急激な変化を見通せてなかったことが原因なのである
これだけの規模の変化は想定すら出来なかったかも知れないが
それでも、見誤った企業が責任を取るべきで学生に皺寄せをすること自体が憤りを感じるのである
苦渋の選択だったのかもしれないが、人1人の人生がそれで大きく変わってしまうかも知れないのだ

内定を取り消されちっゃた学生さん、当社はまだまだ募集中ですよ
気軽に私までメールを下さいませ
当社は一度決めた約束事は必ず守ります

2008年11月06日@村田 富士男

前回のログの交通違反の罰金を払ってきた

郵便局の窓口へ納付書と現金を出して処理をしてもらう
しばらくして名前を呼ばれて領収書をもらった
そして、帰り際「ありがとうございました」ではなくて
「お気をつけて!」と声を掛けられて郵便局を後にした

瞬間的にムカッとした、そりゃ確かにわたしゃぁ交通違反をしましたよ
だから罰金払ってんじゃん、別にアンタにそんな注意をされる謂れはどこにもないんじゃって思った

郵便局の人はそんなつもりで声を掛けてくれたんじゃないことは判っている
きっと親切心から出た言葉なのだろうとも判っている

でも、私の心というか受け止め方はそうじゃない
自分の非はちゃんと判っている上に更に念を押されるというか
ダメ出しをされたようで面白くなかったのだ

多分、初めて会った人で、これから先も会うことはない人だろう
だから間違いなく私のことは何も知らない人だ
そんな人に、交通違反をしたダメな男だと私の全人格を否定されたように感じた

これは言葉を私が勝手に拡大解釈しているだけなのだ
最終的な全人格を否定されたと思うまで、時間にして多分1秒とはかかっていないだろう

言葉を聞く
 ↓
はぁ!?、こいつ嫌味いってんのか!?
 ↓
お前は一体誰?アンタは何様のつもり!?
 ↓
アンタが俺の何を知ってるっていうんじゃ!
 ↓
なんでアンタなんかに注意されなきゃならないの?
 ↓
こんなことで俺を評価するなよ
 ↓
俺は本当はもっと凄い奴なんだぞ!
 ↓
自分の人格を必死に肯定しようとする

と、順序は多少違うかもしれないが、最初は予想外の言葉に驚き、そして戸惑い、その後に憤り、相手を否定して、そして自分の優位性を高めて自分を守ろうとする

こんなことを寝ている時間を除いてずーっと頭の中でやり続けているのである
明らかに郵便局員さんは私の中では既に敵以外の何者でもなくなっている
でも、仮に親しい関係になってその方の性分というか性格が判ったら
親友と呼べるほどの友達になれるかも知れないのである
こうやって自己分析が出来ないと郵便局員さんは私が死ぬまで私の中で私を憤らせた人として記憶に残っていくことでしょう

解釈の違いで自分の将来の可能性を消してしまうことがある典型のような話なのだと思う
自分の可能性を自分で消さないこと、大切にしたいものである

2008年11月04日@村田 富士男心理学研修(Aチーム 4/10)

201104.jpg10月14日のBチームに引き続き、昨日は心理学研修Aチームの第4クールである

前回まではほぼ予行演習のようなもので、このクールからが実質的な研修内容となる
その手始めして、それぞれの「人生脚本」を顕在化する作業をする

何をするかというと、自分の長所や短所、それに人柄とか習慣的な言動とか
まずは自分にまつわる言葉や表現を集める
それは自認していることも他者から評価されることも含めて、考えられる限り様々なワードを書き出してみる

その中から自らが自分の評価としてピッタリとあてはまる表現をいくつか抽出する
大切なのはその表現を自分として受け入れられること
他者評価が圧倒的な支持を得られたとしても、本人がそれを受け入れられないことは対象とはしない

具体的には「優しい」とか「気が強い(小さい)」とか「(不)真面目」とか「おっちょこちょい」とか「冷静」だとか「女好き(笑)」とか
それぞれの表現は自分が認めている自分の(らしい)姿である
この自分らしいと思い込んでいる自分の姿こそ無意識に決めた人生脚本といえるものなのである

「優しい」と自分のことを思っている人は、本当に人に優しくしたいと思って生きているのか?
それとも「優しくしなければならない」という強迫観念に支配されて優しいフリをしているのか?を区別をする必要がある
「気が強い」と思っている人もそれ以外も同様である、自らが表面に現している様々な事象を意識してやっているのか?それとも無意識にそうさせられているのか?

自分を見つける第一歩はそういった自分の人生脚本を認識して意識することから始まる
意識し始めると日常生活の中で今まで何気なく過ごしていたことでも、今の自分はどっちの自分なのだろう!?と思考することになる
その検証の積重ねが、「本当の私」を顕在化させる
「優しい」と思っていた自分が作り物だったり、「気が強い」と思っていた自分が他者からの侵害を恐れる余りに強硬な姿勢を取っていたに過ぎなかったり、「几帳面」だと思っていたのに本心はズボラな自分が好きだったり...

勿論、中には稀に無意識に作った人生脚本をプラスに発動させて、まさしくそれを武器として生きている人もいる
事実、私自身は人生脚本を意識する前とその後では大きな違いはない
私の人生脚本の中核となす生き方は、まさしく私の武器として私の人生を支えてくれたてからだ
但し、その武器も時に強烈なマイナスの作用を起こすことがある、メリットとデメリットは背中合わせの関係でもあるのだ

人生脚本は心の奥底に潜在的に埋め込んでしまったモノである、様々な手法でそれを顕在化させることは可能なのだろうが、
それを改めて書き直すというのはとてつもなく困難な作業で、事実上不可能なことなのだろうと(私は)思う
むしろ、今まで私たち自身を守ってくれてきたそれぞれの人生脚本を
それぞれが理解しつつ上手に付き合っていくというのが適切な対処なのだと思う

2008年10月31日@村田 富士男

昨日のエントリーの後半の続きのようなことになってしまうが

「念」ってのはやっぱりあるんだなぁと感じた昨日なのであった

車載レーダー探知機を購入しようと数日前から考えていた
決してハンドルを握ったら人間が変ってしまうようなことはなくて
ごくごく普通のドライバーなのであるが、かと言って常に制限速度を遵守しているわけでもないので
どこかで運悪くスピード検問に引っ掛かる可能性はある


転ばぬ先の杖ではないが知人と相談して(↑)の機種にしようと決めたばかりだった
その矢先である、昨日仕事の待ち合わせ時間に少し遅れそうだったので少しだけ急いでいた
そんなときに限って、のんびり走る車が前にいたりするのである
なんとか追い抜いて我がペースで走れる環境になったその瞬間に
道路脇から赤い旗を持った制服姿の人が現れて、私の進路を邪魔しようとする
最初は交通誘導のおじさんかと思ったのだが、道路工事をやっているわけでもなくて
臨時に設置されたスピード検問に見事に引っ掛かってしまったのだ

スピードメーターを最後に見た記憶は前の車を抜き去った直後
メーターはゆうに100キロを越えていた
警官に導かれてパトカーに乗り込む...超過したスピードは一体何キロだったのだろうと
強烈な不安が頭の中をもたげる、警官が示した数値は
28キロで違反減点は3点とのこと

過去5年間は無事故無違反なので、とりあえず罰金だけで済みそうでホッと胸を撫で下ろす

でも、探知機を検討している時に話していた言葉
「罰金取られることを思えば、探知機なんて安いもの...」
やっちゃってからでは、先行投資をするはずだった余裕も木っ端微塵なのである
でもでも、こういうことは続いたりするものでもあるのだ
来るべき危険のために教訓を生かして予防措置を怠ってはならないのである

でも、頭の中で考えたりしていると、何かしらの現実が目の前に現れるものなのだということを痛感している
思考するだけで「念」は知らず知らずのうちに自分の周りの環境を作り上げたりするものなんだなぁと、少々痛い予定外の出費をもって思い知らされるのであった

それともうひとつ、「災害は忘れた頃にやってくる」(ーー;)

2008年10月30日@村田 富士男

プロフィールの「こんな人」でもある立川志の輔さんの落語を車の運転中に飽きもせずに何度も何度も聞いている

滑舌が良くて話術に長けているのは当然のことではあるが、
何よりも感心するのは「間」である、話と話を結びつける無言の時間帯
そこでは当然に何も声を発していないのだが、聞いている側の頭の中は無ではない
この先の展開やら噺の出演者たちの心情やらを思い思いに巡らしたりしている

無音の状態から次の言葉が発せられる時
そのタイミングが何とも絶妙で、だからこそぐいぐいと噺に引き込まれてしまう
今月の初めに出張で飛行機を利用した時に、同じ演目を別の落語家さんが演じているのを機内で聞いた
噺の筋が判っていることもあるが、同じ様に笑えないし噺に引き込まれることもなかった
その差はやっぱり「間」が私とは合わないからなのだろうなぁと感じていた

以前にもご紹介した桃知利男さんが、いろんな人の著書やブログを読んでいると
文字には表されていない「行間」に書き手の本心が見え隠れするとおっしゃっていたことがあった

更に、「脳あるヒト心ある人」を養老孟司さんと共著された角田光代さんも
幼い頃に読んだ小説を改めて読み返してみると、文字にはダイレクトには現していない
著者の本当に伝えたいことが見えるようになってきて、昔は嫌いだった(つまらないと思った)作家の偉大さに気づかされたと書かれている

合わせて、「悩む力」の姜尚中さんもその著書の中で夏目漱石の様々な小説を解説しつつ
現されている文字の裏側にある、漱石が伝えたかったであろう事柄を独自の視線で伝えてくれている

「間」や「行間」という表現しないことで伝えることはとてつもなく困難な作業のように私は感じる
完全に説明しきってしまわないと気が済まない(まさしく左脳的)のが私の性分であるからだ
逆に考えれば、受取り手として私は表現しないで伝えようとしている送り手側の思惑をどこまで理解しているだろうとも思う
それを実感として感じられるようになるにはまだまだ時間が掛かりそうである

過去のログにも共通することでもあるが、「間」とか「行間」を操れるようになりたい今回のログのように思考を始めると
不思議とそれに纏わる事柄に自然に出くわす機会が多くなる
それは私の中で興味心が発動したというのがきっかけなのだと思う
興味心の発動から文字として表現するまで、一応、私にも「間」はあるらしい(笑)

2008年10月27日@村田 富士男行列

Image001.jpg今日は理工系大学と企業の情報交換会に出席

写真では判りづらいかも知れないが、大学の就職担当の先生方のところには企業の採用担当者が長蛇の列を作る
一度に数十人も一度に名刺交換をしなきゃならない先生方も大変だなぁと思う
愛想笑いや話を合わせるだけでも気疲れしそうである
(そういう私はあまりの人の多さに途中から頭が痛くなった)

先生方は来年度の就職活動は今までのようにいかず、かなり厳しいものになると口を揃えておっしゃっていた
某自動車会社の減収減益予想に加えて、今月に入ってからの世界規模での経済の混乱は
「この先、どうなっちまうのだろうか!?」と誰しもが不安を覚えてしまうものである
事実、来年からは新規採用を抑えるという企業さんも少なくなかった

当社はというと、顕在的な人手不足がずーっと続いたままで
会社としての理想的な人員配置(ピラミッド型)に程遠いのが現実で
先生方もおっしゃっていたが、来年はそういう意味では中小企業(当社も含む)にとって
足掛かりを作るための大きなチャンスとなるかも知れない
その為なら、行列にでもなんでも並びますよ~(笑)

2008年10月23日@村田 富士男思い知る

 おもいし・る おもひ―【思い知る】

  つくづくと身にしみて悟る。わきまえる。
  「芸の未熟さを―・る」「どうだ、―・ったか」
                 
                     by -goo 国語・新語辞典-  

今日は楽しみにしていたコミック「ジパング No.37」(かわぐちかいじ著)の発売日だった
我が家では私に加えて子供2人も楽しんで読んでいる

その表紙の裏に著者のコメントがあって、そこに「思い知る」ことが大切だと書いてあった
その文字を目にした時に「これかぁ!」と思った

「これかぁ!」というのは、ここのところ考え続けている言葉と行動のギャップについてである
頭で理解できても、その全てが実行出来るわけではない事は前にも書いた
それは文字や言葉等の情報を自分が必要なものとして認識していないことや
具体的なアクションを起こす前に情報になった瞬間に既に答えが見えてる的な中途半端な大人の判断(という諦め)等が要因なのだろうと書いていたが
それらを端的に現す言葉を見つけ出せなかったのだ

「思い知る」は上にもあるように、つくづくと見に沁みて悟ることである
言葉や文字として理解(頭の中だけで判ったつもり)しても身に沁みて悟っていないから、
「思い知ってない人」は理解=実行に結びつかないんだなって(私の中で)合点がいった

合点がいくという表現は個人的に何故か好きである
合点がいったこと(モノ)は頭というよりも体が受け止めたような感覚で何年経っても忘れないのだと思う
そういう意味では「思い知る」ってのも同義語とも言えると思う

話は変わるが既に新しい通勤の相棒とお付き合いしている
それは
「悩む力」集英社新書 著者:姜尚中である

まだ途中までしか読んでいないけど、著者は個人主義が拡大した現代はそれより前に比べて自由になった
けれど身分制度や様々な抑圧の中で生きていたそれ以前よりも生き難い時代になっている
自分で全てのことを判断しなければならないことはとっても困難なことだからだと書いている
夢や希望を持つことすら思考の範疇になかった時代から、何でも自由で好き勝手な選択が出来る時代に急激な変化が起こっているのだと

中にはそんな環境に適用できる人もいるかも知れないが大多数の人は大きな流れの中で
「自分とは何者?」とか「生きる意味は?」なんてことを考えずに暮らしているものだとしている
これにも全く同感でまさしく合点がいく説だと思いながに読み進めている

「思い知る」ことと馬鹿みたいに難しいことばかり考えている人ばかりじゃないよということの2つが
私の中では矛盾を起こしていない、どちらもアリな話なのだと思う
ただ、「思い知る」という行為を勧んでしようと私は思っている
その理由は「思い知れない」よりは「思い知れる(=合点がいく)」ことの方がなんだか楽しそうだからである

何故、楽しいのか!?については理由はない
楽しいことは楽しいとしか表現のしようがない

2008年10月22日@村田 富士男なんだかなぁ

今日からプロ野球セリーグのクライマックスシリーズが第2ステージが開幕している
岐阜県で生まれ育った私は父親の影響もあり中日ファンではあるのだが
なんだかなぁ...な気分なのである
第1ステージの阪神戦だって結果は勝っちゃったけど
むしろ阪神ファンに対して申し訳ないくらいの気持ちがしているのである

もう色んなところで語りつくされて入るでしょうが
いくら制度として採用したとはいえ、何のために半年間もリーグ戦をやっているのか?
やっぱり疑問に感じてしまうし、スッキリしない感は否めないのである

今年のペナントレースの中日は弱かったなぁってのが本心である
肝心なゲームをことごとくモノに出来なかった
個人的には暑くなる前に既に終わっていたような気さえしていた
それなのに今更クライマックスシリーズで日本シリーズ出場権を争うなんてのは茶番にしか思えなくて
応援する気にもなれないというところである

諦めないことはとても大切なことだけれど
結果が既に出ているのにそれを蒸し返すようなことはどうなのかと思ってしまう
もちろん、これは選手が望んだことではなくて球団側が興行を考えて思考して施行したことで
それなりの盛り上がりにも繋がってはいるんだろうけど
スポーツには勝ち負けはついて回るもので、それが判りにくい制度ってのは
本当の意味での野球再興に繋がらないようなきがしてならない

話はやや変わるが、モンスターペアレンツという最近現れた新種の生き物の中には運動会の徒競走で着順を決めることを良しとしない人がいるらしい
理由は可愛い我が子に敗北感を味あわせる行為が許しがたいとのことらしいが
そんなことで我が子の人生が左右されると思いこんで必死に抗議する方が狂っていると(私は)思うのである
過剰に保護された子供がちゃんと人として成長出来るのかの方が心配なくらいである

なんだか、プロ野球界をリードしている人(達)とモンスターペアレンツは根底ではとても似ているような気がしてならない

2008年10月21日@村田 富士男負の情報

今日は当社がターゲットにしていた大型公共事業の入札の開札日であった
残念ながら落札候補者にはなれなかったのだが、結果としては悔いは残っていない

様々な協議や経緯を経て、応札金額を決めた
その過程と結論には十分に満足しているし、その結果での失注なので後悔を残さず頭を切り替えることが出来る

本心は、あぁも出来たかも...、こうすれば良かったかも...、ということも頭に浮かばないではないが
当社としては可能な限りのベストを尽くしたのだと確信している

事業には100%の正解なんて絶対にないわけで
仮に希望通りの成果が得られなくとも、それをきちんと教訓として残すことだ
その教訓(負の情報)の積み重ねがより良質な文化(社風)を作り、より強い組織の構築に繋がるのだと思う

人は得てして負の情報を隠したがる傾向が強い
それはここ数年世間を賑わしている偽装や隠匿事件でも明らかだ
その結果、単なる失敗・事故・事件から企業の存続すら危ぶまれる事態へと展開していってしまうのも周知の事実である

負の情報こそが企業の重要な財産のひとつなのだと私は思っている
それは、大きなこともあれば小さなこともあるだろう
負を認める先にしか企業としての成長もないのだとも思う
負の教訓を正のエネルギーに変えて、それを将来の糧にする
そんな企業であり続けたいと思っている

2008年10月14日@村田 富士男心理学研修(Bチーム 3/10)

1014.jpg
当社では社内で実践心理学研修を実施している
お世話になっているのは株式会社ハートフルコミュニケーションズの谷口敏夫さんである

ハートフルコュニケーションズのHPにもあるように本来のコースは初級から始まって上級までがあり
普通に続けても最低でも一年半くらいはかかる代物である
社員ブログで書き始めた南・岡本・村田の3名はその心理学研修の卒業生でもある

この研修の最大の目的は「本当の自分を見つける」ことである
そんなことは判っていると思っている人もいるとは思うが
昨日書いた「言葉の功罪」からの抜粋

言葉だけで理解しようとする必ず無理が出てくる  だって、人には感情も感性もあって理詰めだけでは動かないものなのである 理屈が正しくても、動けない、同意できない、追従出来ないことは少なくないのだ

本当の自分が判っている人は上のような"なんとなく"という出来る出来ないということは本当は起こらないと私は思っている
何故ならば自らに必要なことと必要でないことは明確に理解することができるからだ

当社ではA・Bの2チームに分かれて、全10日コースでそれを探るための研修を始めた
今日はそのBチームの第3クールなのである
お題は「自分にも相手にもプラスの影響を与える」である

マイナス思考で物事を発想することは実はとても簡単で容易だ
何故ならば過去の自らの失敗体験をそれに重ね合わせることができるからである

逆にプラス思考で発想したり受け止めたりすることはとても難しい
マイナス思考と同様に過去の成功体験を重ね合わせられれば可能なのかも知れないが
それが出来ないのがヒトという生物なのである
何故ならば成功体験を体験として自分のものにしていない場合があまりに多いからである

この研修は、成功体験を自覚して失敗体験をチャンスに変える習慣を身につけることを目指している
「本当の自分が見つける」ことが現実のもとになった時にそれは実現する

失敗も成功とは、実は自分がそうだと決めつけていることなだけなのである

2008年10月13日@村田 富士男言葉の功罪


「脳あるヒト心ある人」養老孟司/角田光代(著)を半分くらい読んだ

含蓄のある言葉が沢山並んでいる本である
決して難しい言葉ばかりが並んでいるわけではないのだが、なんだか考えさせられる本である
交換日記のように交互に思うことを書き綴ったリレーエッセイである
感想は読破後に書き記したいとと思う

読んでいて思い出した話があった
誰から聞いたのかは記憶がないのだが、それは「小さい子供を叱る時に理由を聞かないで下さい」ということ
まだ小学生にもならない子供が悪戯(悪さ)をした時に
「どうして、そんことをしたの!?」と子供に聞くということが既に間違っている
なぜならば子供は確信犯ではなくて、単なる好奇心の延長線で思わずやってしまうだけで
そこには理由なんて存在しないからだ

だから、大人目線で行動を起こすには必ず理由があるという常識は子供には通じない
その通じない常識を子供に無理強いしても期待した答えは絶対に帰ってこないし
問いかけた側も答える側も"ストレスが溜まる"という結果が残るだけという話

大人は言葉で物事を理解しようとする
それは当然の話である、言葉は人類最大の武器であり
言葉があったからこそ、今日の人類の繁栄があることも間違いのない事実なのだから
ただ、全てが言葉で理解出来ることばかりじゃないということも知っていなければならないのだと思う

言葉だけで理解しようとする必ず無理が出てくる
だって、人には感情も感性もあって理詰めだけでは動かないものなのである
理屈が正しくても、動けない、同意できない、追従出来ないことは少なくないのだ
全てが一つの切り口で解決出来てしまう決めつけてしまうことが最も恐ろしいことで
思考の柔軟さを失うことは人らしく生きることを放棄するようなものなのである

言葉も大切ではあるが、それで全てが解決できるわけではないことを意識しながら書き続けたいと思う

2008年10月12日@村田 富士男リスタート(自己紹介のようなもの)

当社のホームページ上でブログを公開する事になりました

これ以前のエントリーは関連会社である「株式会社キャロラインリクエスト」というIT企業で公開していた(元祖)「左脳な伝言」から抜粋したものです

改めて自己紹介をすると大建工業では社長室長という役割を頂戴しています
具体的な仕事は総務・経理・人事の事務系の仕事と
それから営業職として特に官庁関係を担当しています
更に、別事業として不動産関係の担当もしています
そして、上にも書いたIT関連企業の社長もやらせてもらっています

そんなに沢山あると何が本職なのかは判りづらいかも知れませんが
私的には全てが本職だと断言することが出来ます
その理由は簡単です、全てが「やりたい仕事」だからです

「やりたい仕事」というのは別の言い方をすると天職とも言えるかも知れません
くだけた書き方をすれば、好きなことをやってお金が貰えているということです
ここで問題は自分が何が好きなことなのかを自分自身で理解しているかどうか!?なのだと思います

自分が好きなこと=趣味と考える方も少なくないと思いますが
趣味というのも本当に好きなことを実現するためのツールというか表現方法なのだと私は思っています
絵画を描くこと、魚釣りを楽しむこと、テニスをすること、パチンコをすること、酒を飲むこと...
具体的な行為は様々ありますが、その何らかの共通点が必ずあり
絵が上手だと褒められると嬉しい、仲間と一緒にいると楽しい、一人だけの時間を過ごしたい等など
趣味をしている過程に共通の事柄があるのだと思います
それを実感(体験)したくて具体的なアクションを起こしているのだと考えているのです

そういう意味で、陳腐な表現になってしまいますが私の趣味は仕事だと言えるのかも知れません
私が本当にしたいことはというと「自我同一性(self identity)」で書いた「支える」を実現するなのである

上にも書いたようにいろんな事をしています、でもその全てが「支える」を実践するためのツール(戦略)のひとつづつでしかないということなのです

2008年10月09日@村田 富士男「大人がいない...」読破

読み終えた感想
読み始めは良かったのだが、その後は目新しい情報というか気づきを得ることはできなかった

ヒトそのものがネオトニーで幼態熟成であること
差の中でも特に日本人は他国の文化と異なり「若い(幼い)」ことを歓迎する傾向にあること
更に、大人でないことを文化にしてしまう特殊能力も持っていること
大人じゃない文化としては、例えばオタクだし、漫画だし、ゲーム機である
そのいずれもが日本発の文化として他国にも受け容れられているという事実があること
そういう私も漫画を未だに読んでいる
一昔前なら大人向けの漫画はアダルトが定番だった
でも、今は(精神的な)大人の鑑賞に堪えられるほどの発展ぶりをしている
業界としての裾野が一気に拡大しているともいえるのかも知れない

そういったある意味での良い面もありながら
ニートやフリーターといった責任を取らない、将来を考えられない人たちも出現させてしまったのも事実なのである

私は個人的には膨大に流れてくる情報量の急激な増加もひとつの要因のような気がした
まさしく、それはネット社会だともいえるのかも知れないが
いつの世も「上には上がいるし、下にも下が必ずいる」
知りえる情報量に限界(自分の周りだけ)だった頃は
圧倒的に極端な人が周りに大勢存在することはなかった
でも情報量の増加で知りえる世界を一気に広げた、極端な人たちを大勢知りえることになった
「まだ俺はましな方...」と楽観的に考えてしまう頻度が高くなったのじゃないかと感じた

且つ、情報量の増加は考えて答えを出す習慣を人々から遠ざける結果ももたらした
そんな複合的な要素がいくつも重なり合って大人にならない選択を無意識にしている人たちが増えたように(私は)思う

著者は将来のコスト増を考えると、そんな甘いことをいつまでも容認していては具合が悪い
いつもは大人でなくとも必要な時には大人の対応が出来るようになりましょうねと警鐘を鳴らす形で締めくくった
(それが意識的に出来るのなら問題にはならないんだけどね...)

次のターゲットは 養老孟司 /角田光代 共著の「脳あるヒト心ある人」だぁ

2008年10月05日@村田 富士男ネオトニー

前のエントリーで書いた「ネオトニー」(幼態成熟)である

幼態とは分かり易く書けば、昆虫類の「幼虫」である、成虫になる前の姿や形のことを指す
人間が幼態成熟と言われる所以は霊長類の中で幼態と成態の変化が少ないことである

チンパンジーは幼形と人の幼形は似ていると言われているが、チンパンジーと人の成態は明らかに違う
特徴的なのはチンパンジーは口の部分が大きく前にせり出したり、全身が長い体毛で覆われていたりする
人の中にも毛深い方もいらっしゃたりするが、それでもチンパンジーやゴリラの生態のように顔全体を覆うことはない
生物として人は幼態のまま大人(成態)になっているといことである

仮にチンパンジーが人の祖先だとして、その変化はいつから始まったのだろう!?と思う
突然変異から進化は始まる、進化の過程で不要になった体のパーツが変化したり退化したりし最終形に至る
幼態成熟はその過程の中にしか存在しないはずだと思うのである
進化の過程で不要になった体毛が生えなくなっていったはずなのである
生物として幼態成熟でも子孫が残せるはずになったのは幼態成熟でも生き延びられる環境があったからのはずで
その環境は突然変異の時に既に整っているとは思えないのである
卵が先か?鶏が先か?的な話ではあるが、きっととても長い年月の中の偶然の出来事があったのだろうと思うしかない

しかし、この進化の話はまさしくDNAのみが関わっていることで
「大人がいない...」とか「バカばっかり...」的な世間の識者と呼ばれる方々の嘆きや批判とは無縁なような気がする
それは、生物としての生き残るための本能の話ではなくて
思慮深さが足りないとか短絡的とか自分勝手さを批判しているもののはず
ただ、そういう進化の過程を踏んでいる我々には大人になりたくない的な遺伝子情報がどこかに組み込まれているのかもしれないねぇ

だとしたら、大人がいなくなりつつある現代は新しい進化(退化かも)が始まっているのかも
それは日本だけではなくて世界的に同時多発的に起こっているのかもしれない

2008年10月02日@村田 富士男大人がいない


新しい通勤のお供、清水義範さん著の【「大人」がいない...】である

読み進めたのはまだ半分くらい
まずは文字に対するイメージの変化から話は始まる
「老」という文字は経験も知識もあって立派な大人の象徴としての存在感が昔はあった
事実、江戸時代の将軍以下の要職には「老中」とか「大老」という肩書の人たちが存在した
まさしく彼らは時の将軍を支える知恵袋の役割を果たしてきたのだ

更に大人の定義として単に肉体的な大人(俗にいうアダルト)と精神的な大人との違いを反対語で示した
肉体的な大人の反対語は子供、精神的な大人の反対語は大人でない人
子供と大人でない人というのは決定的に違うのは雰囲気でご理解賜れるだろう
しかし、子供でも(精神的に)大人な人はいるわけで
単に、子供<大人でない人<大人という数式になるわけではない

又、日本人の「若さ」に対する盲目的な憧れを日本独特の文化として解説している
「可愛い」という表現は日本以外では大人に対する讃辞にならなず逆に侮蔑の言葉として受け取られる
それは大人として(本当の大人かどうかは別にして)認められない言葉として理解され
日本人以外のミームでは決して受け入れられない評価としなってしまうからである
ひと昔前、日本の若い女性が年配の方の仕草や言葉を「可愛い」と表現していたころがあったが「」
あれは海外では全く通じないことなのである

逆に言うとそういう独特な文化を成立させている日本は凄いことなのだとも(私は)思う
別に海外がどっであろうが、それは海外の話で(私の住む)日本には関係のない話なのだと(私は)思っている

どんな結論を導き出して終わるのかは判らないが「ネオテニー」(幼態成熟)という初めて聞く(見る)言葉からの発想はとても面白い
なるほどなぁ~と久しぶりに感心しつつ、少し前に好きだった進化についての考察を思い出したりながらら電車の中で読み耽っていた

カテゴリー「乱読」で前回ご紹介した「本当はちがうんだ日記」は昨日完読したのだが
あれ以降、心に響くエントリーに出会えなかった(残念!←かなり古いか...)
今回は「大人」がいない...は完読後の感想もぜひ書きたいなぁと密かに期待している

2008年09月30日@村田 富士男直撃

昨日から求人活動で九州に出張中

セントレアから福岡空港に降り立って、佐賀を通過して長崎県佐世保に
その後、長崎市内まで足を延ばしてお泊り

今日は島原からフェリーに乗って熊本に
九州を縦断するように高速道路を南下して鹿児島まで
途中、台風に刺激された低気圧が発達した大雨に見舞われて
高速道路も50km制限でスケジュールも予定より押せ押せになる

今夜は鹿児島の天文館でこの方と久しぶりの一献

明日の昼頃の飛行機でセントレアに戻る予定だけど
台風が最も接近している時間帯とドンピシャリなのである
無事に飛行機が飛んでくれればいいのだけれど...

2008年09月28日@村田 富士男表と裏


「民意」のうちには政治家個人の信念や価値観や嗜好とあきらかに異質なものが含まれている。
自分自身の政治的信念と背馳するような政治的信念をもっている人間であれ、その人が法制上の「国民」である限り、政治家はそのような人の意向をも代表せねばならない。
この仕事は決して愉快なものではない
  ・
  ・
メディアは「政治家ははっきりとわかりやすく言葉を語るべきだ」とさかんに主張する。
そうだろうか。
私に言わせれば、それは要するに私念と公務のあいだに「葛藤がない人間」であれということに等しい。

それでよろしいのか。
「葛藤のない」のは私的な信念・心情を公的な責務に優先させることに抵抗を感じていないか、
自分の私的利害と公的利害とが一致している(だから自己利益の追求がそのまま国益の増大に結実する)と思い込んでいるか、どちらかである。

前者であれば悪人であり、後者であれば愚者である(その両方である場合もある)。

            - 内田樹の研究室 - 「私の好きな統治者」より


世間の目に晒されるという意味では政治家の場合は公務を「表」、私念を「裏」と言い換えてもいいだろうか

「公務と私念」

その2つを可能な限り同化させたいと私は思っている
結果としての戦略や表現方法は変ることはあっても良いと思う
肝要なのは自らが実現したかったモノを見失わないことで
それを実現するためのツール(戦略や表現方法)は臨機応変に考えれば良いと思っている

政治家の皆さんが本当の自分の大義をあからさまに出来たらきっともっと政治は面白くなる
「国民のために」なんて台詞は何度聞かされたって(私の)心を打つことはない
例えば金持ちになりたいんだ!ってのでも良いとも思う
ただ、金持ちになって、その後はどうするの!?という追加の質問をしたくはなるけどね

「自我同一性(self identity)」で私の本当の欲求を書きました
「支える」ことが何よりも私に満足感と幸福感を与えてくれて、且つ最大の存在価値を見出してくれる

他人が私の見える部分だけを評価した時には「支えてる男」には映らないかも知れない
私の見える部分は支えるために必要なことをツールとして表現しているだけだからだ

「表と裏」を使い分けなきゃならない場面は決して少なくないのかも知れないが
それを可能な限り同一させる意識を忘れてしまうと
自分が自分でなくなってしまっていることにも気づけなくなるような気がしてならない

2008年09月26日@村田 富士男ろこぽろ

電車に乗っていた、車内は少し混雑気味で座れない人も多くいる
私は乗るのが短い距離だったのではじめから立って過ごすつもで
乗降口の近くでつり革に掴っていた

電車が停車したり出発したりすると少なからず体が進路方向に平行に揺れる
それはつり革の私が持っている輪っか部分とつり革自体を電車に固定している個所までは
太いビニール製のもので繋がれているのだから仕方のないことだと思っていた

今日はそんな私の諦めを解決してくれる人に出会わせてもらいました
その人はつり革を進路方向に平行して二つ掴んでいた
横から見るといつもブラブラしているつり革がV時に固定されているのである
これなら、前につんのめりそうになる時は後ろのつり革が、
後ろへのけ反りそうになる時は前のつり革が、目一杯伸びている状態になるので
電車の制動に惑わされることなく快適な乗車時間を楽しむことができる

前にも使いましたが目から鱗ポロポロ、略して「ろこぽろ」(by 原田宗典さん)なのである
可能であれば、前後左右4本の吊り革を使えば横揺れにも万全の態勢を整えることが出来るなぁなんて考えていたのではあるのですが...
きっと、つり革4本を独占する男として周囲から白い目で見られちゃうに違いない
誰も立っていない空いている電車でならそれも実行出来そうな気もするが、空いているのなら座れば良いのである

電車の揺れを完全吸収して微動だにしない男の実現は難易度が高そうなのである

2008年09月25日@村田 富士男内弁慶

新卒学生採用のためにいろんな学校を回ったりする
学校の先生方から聞かれる話で多いのは「内弁慶な生徒がとても増えた」である
ここ数日だけで3度同じ話を聞いた

もう秋になろうとしているのに就職が決まっていない大学生も少なくないのだとか
その原因はは自発的に会社訪問が出来ない人たちが多いからというのが某就職斡旋会社の説明だった
高校生にも同じようなことが言えるらしい、就職試験で実力の半分も出し切れずに不合格になってしまう生徒が増えているとのこと
どちらも環境に慣れてしまえばそれなりの力は持っているのに...と嘆いていた

親御さんの保護の下で育てられるのは当然ではあるが
きっと過剰なまでの保護を受けさせられている子供が増えているのだろう
ある本で父親の母親化を嘆いている方がいらしたが、私も全く同意見である

両親が揃っている家庭であれば、父親と母親の役割は別にあるものだと書いてあった
普段家庭にいる時間が短くて、家庭に帰って浮いちゃう自分が恐くて
子供や女房のの機嫌を取りたがるタイプの父親が多くなったと作者は書いていた
これにも激しく同意をするのである
親父は一家の長として家族を養っているのだからデカイ顔をしていればいいし
家事をセコセコ手伝う必要もない、デンと構えていれば良いのだと思う
些細なことで動じない強さを教えるべきなのだと(私は)思っている

だから、王子かお姫様だと子供が勘違いして我侭放題に育っちゃう
でも、保護されていない世界ではそれが通用しないことを知っている
というか、きっと「アナタのことを特別視する気はありませんよ」という相手のオーラを肌で感じるんだろう
保護下なら両親が助けに来てくれるが家庭の外ではそれを望むことも出来ない
だから萎縮して本当の自分らしさを相手に伝えられないのだ
そうなった時の対処法を身につけていないから、立派な内弁慶君が出来上がっちゃうんだろうなと話を伺いながら考えていた

そういう我が子が外でどんな顔をしているのか私は知らないし
知りたいとも知ろうともしない、それは本人が自力で切り拓くしかないことで
父親としてできることはもうそこにはないからだ

恐いのはそんな人たちもいつか結婚して子供をもうけることだろう
自らに経験のないことは教えたくとも教えることができない
その連鎖を止めることはとても難しいことだと思う

なんだか、人類最古のボヤキ「最近の若い者は...」の世界に近づいてきたな
ジジィになりつつある証拠だろうか...

2008年09月24日@村田 富士男本当はちがうんだ日記


新しい通勤のお供「本当はちがうんだ日記」穂村 弘 (著)である
サブタイトルというか文庫の帯には
~この世に生れて四十数年、未だ人生リハーサル中。
......本番っていつ始まるんだ?~ と書いてある

まだ読み始めて30Pほど、「あだ名」がついぞつかなかった自分がまるで仲間外れにされているかのように恥じ
買い物をしたレジでつり銭を財布に入れる時間がいたたまれなくて上着やズボンのポケットに小銭が溜まってしまう習性を嘆いく「現実圧」
本当の自分はこんなじゃないんだぞ~とやや自虐的に書いている

中でも、「あたまたち」の古本屋の張り紙の話は笑えた
「女子〇〇生は立読自由」
来店客に注意を促すための張り紙には店舗側の真意がちゃんと含まれているという話
私が当事者である女子〇〇生だったら逆に絶対に立読みはしないだろう
だって、その裏側にある(ただならぬ)真意が文字から溢れ出ていそうだからである
当事者じゃない成人の男性の私としては冗談の判る店主(オヤジ)だなぁと思うのである

人の真意が露になった時ほど恐ろしいものはない
そこには強欲とも言えそうな本心が詰まっていそうだからである
張り紙という一方的なコミュニケーションツールは弁解の余地を与えてくれない
対面して話しているのであれば、イントネーションとか表情とかでその本気度を相手に伝えられるのだが
文字媒体はそこに居ない限り補足説明のしようがないのである

そういう意味ではこのブログも同様であるが
張り紙と違い真意を理解してもらうために無制限に書き綴ることができる
但し、それも各エントリーをちゃんと全部読んでくれた人という限定は付いたりするけど
逆説的には真意を隠すために文字や言葉を多く並べるということもある
そう考えてみると私の過去のエントリーもその二つに分類することが出来るかもしれない
いつか時間があったら、密かに分類してみよう

まだまだ、「本当はちがうんだ日記」には楽しませてもらえそうである

2008年09月23日@村田 富士男付和雷同

実は昨夜書きかけてUPするのを躊躇したエントリー

私のITiに関する師匠でもある桃知利男さんの今日のモモログだから大切なことは、勉強をして、自分の頭で考えて、説明をする。そして受け売りを止めることです。(リチャード・クー)」を読んでUPを決意するのである

本当は(多分)もうじき行われるであろう衆議院の総選挙で
「選挙の顔」で総裁を選びたがる某政党
いつそやの郵○選挙のようにフレーズや勢いや人気だけで投票することを止めましょうと書きたかった
だけど、なんか真面目に政治のことを語るのが
どうも性に合わない感じがして躊躇していた

最大野党が政権を担っても似たようなものだとか
若しくは、今よりも不安定になると言われているが
一度ならずに二度までも重責をプッツンして放りだしちゃう(辞めさせちゃう)政党よりはマシな気が(私は)する
そういえば、ほんの半年ぐらい前にマシそうな人もプッツンして辞めかかったことがあった
でも、戻ってきた...あの人が恥も外聞も捨てて戻ってきた
それだけでも評価できる気がする
何こども付和雷同でないこと、そして放り投げないことが一番肝要な気がする

------ 以下は昨夜書いたもの ----------------------

ふわ-らいどう 【付和雷同】|〈―スル〉

自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること。
▽「付和」は定見をもたず、すぐ他人の意見に賛成すること。
「雷同」は雷が鳴ると万物がそれに応じて響くように、むやみに他人の言動に同調すること。
「雷同付和らいどうふわ」ともいう。「付」は「附」とも書く。

類義語

阿付雷同あふらいどう
唯唯諾諾いいだくだく
軽挙妄動けいきょもうどう
党同伐異とうどうばつい
吠影吠
声はいえいはいせい
付和随行ふわずいこう
雷同一律らいどういちりつ

 by goo(四字熟語辞典)

勉強していた息子にどういう意味?って聞かれた
言葉自体は知っていたのだが、意味は知らなくて(覚えた記憶がない)
とっさに、「自分で辞書を引いて調べなきゃ頭には入らないぞ」と
親父のメンツを保つだけの返答を間髪入れずに返し
知らないことを悟られないように顔色一つ変えず悠々と(した態度のつもりで)自室に戻り
慌ててネット検索するのである (@_@;)

大昔なら「赤信号みんなで渡れば怖くない」の世界である
でも、それはその瞬間のことで、将来に潜んでいるリスクは無視している
大の大人が赤信号で渡っていて車にはねられて死んじゃっても世間の評価はとっても冷たいものだ
はねた側の賠償責任すら問えないことだって少なくない
そんなリスクすら考えないで渡っちゃうことが如何に無責任なのかを考えたい

------------ 以上、昨夜までのエントリー

2008年09月19日@村田 富士男あんな人

こんな人に続く第二弾、プロフの中のあんな人とは内田樹さんである

出会いは『態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い』を何気なく手にした時だった
ちょうどその頃、心理学を勉強していた私は「内なる他者との出会い」というサブタイトルが気になった
読んでみて、話の波長が合っていて頷ける主張が妙に多い
知らないうちに虜になって、今も著書とブログを通じて日々勉強させてもらっている

内田さんからもっとも勉強したことがひとつある
それは改革と変革とかアクションを起こそうとかポジティブシンキングでいようとか
うまくは言えないけれど、今のままじゃダメでしょ!?危機感持とうよ!!と
自分を含めて周りの人たちを巻き込みたくて仕方ない人間だった
大昔(6年くらい前)にブログを始めたばかりのエントリーはそんな言葉ばかりが並んでいた
又、自分にそう言い聞かせて強制させることで村田富士男という人間を形成させようとしていたと言ってもいいくらいだ

どの著書のどんな文章だったのかは記憶に定かではないが
「情けなくったっていいじゃん」的な文脈があって
それを読んだ瞬間に目から鱗ポロポロ(略してロコポロby原田宗典さん)の状態になって
その直前数年間に体験した偉大な実験失敗の原因が判った気がした

偉大な実験とは某建設会社をIT化によって変革しようという試み
個人的にはやれるだけのことをやったが結果が得られなかっただけということで納得をしていたが
その失敗の要因は理解できないでいた、その要因はまさしく自分の中にあった

それは担当者として圧倒的なパワーで突出することで牽引しているつもりだったのに
実は「どうだ、俺は凄いだろう!」と薄っぺらなプライドをひけらかしているだけだったのだ
そこには「役に立たないと相手にしてもらえない」という私の強烈な思い込みというかトラウマがあり
純粋な気持ちでのリーダーシップではなかったことが周りに伝わっていたのだろう
攻めれば攻めるほど、希望とは逆の結果を導き出す結果となった

情けない自分も自分の中の一つとして理解して、隠さないで生きていけることは
隠して見栄を張っているよりも確実に強く生きられるし、人としての魅力も倍増するのである

内田さんの虜になったのはそんな訳なのである

2008年09月17日@村田 富士男けど...

やっつけブログ その1である
以前に別の(非公開な)ブログで書いていたものをそのまま掲載

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「けど...」って書いても何の事やら判らないと思いますが
正確には「けれども...」の略で逆接の接続詞である
逆接の接続詞なんて書くともっと判りづらくなりますが
要は相手の意見を否定する時に使う言葉なのです
「そうなんだけど...」「そう思うんだけど」等々

問題はその「けど」の後に続く言葉なのである
どんな言葉が続くかというと「やらない理由」や「出来ない理由」が並ぶのだ
アナタの言ってることは判るけど、赫々然々の理由でそれは出来(やれ)ませんと
行動を起こさないことの正当性を際立たせようとする言葉
しかも、それは自分の問題じゃなくて、必ず自分以外に責を押し付けて語られる
何故ならば、その時の本心は自分がそれを成す自信がなかったり勇気がない状態に陥っていて
それを相手に悟られたり知られたりすると自分を守れないから
他人のせいにして語るしかないのである

違う書き方をすれば、他者の提案が自分の問題として片付けられるのであれば
他人のせいにして何かを否定する必要性はどこにもない
でも、「けど」という言葉を用いて理由を他者のせいにして何かを否定することは
まさしく自分の問題としてそれを受け止めていて、自分じゃ出来そうもないと直感で判っているから
瞬時に拒絶反応を起こしている以外のなにものでもないのだ

無意識に「けど」を乱発している人もいるかも知れない
でも、それは今がそうなっているだけのことで
モノゴトの受け止め方を変えるだけで「けど」という言葉を使わない人になることは難しくない

「けど」という言葉を使わないように意識して議論をしてみて下さい
会議や打ち合わせ自体が生き物のように躍動感が感じられるようになるはず

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ある人からこのログはとっても印象に残っていて
それ以降、「けど」を使わない若しくは使わせないように実践しているんですと
話してもらいました
せっかくなので、再掲をしてみました

2008年09月16日@村田 富士男こんな人

このブログにプロフィールを追加してもらった
(このブログはMovable Typeで作っているので僕じゃいじれないのよねぇ(-_-;))

プロフの中のこんな人とは立川志の輔さんなのである

立川志の輔さんは3年前、電車通勤をするようになって通勤途中の退屈な時間を潰すために聞き始めた音楽にも飽きて、何か別のものをと物色していて出会った
聞き始めは創作落語だった「はんどたおる」「踊るファクス」「みどりの窓口」とか
通勤電車の中でイヤホンから流れる軽快な話術に何度肩を震わせて笑うのを堪えたことか
周りの人たちにはニヤニヤしながら肩を震わせる変な親父にしか映らなかったに違いない
最近では「歓喜の歌」という落語ががそのまま映画にまでなるという快挙を成し遂げている人である
もちろん、某国営放送の「ためしてガッテン」の司会者としての方が認知度は高いかもしれない

9/14(日)の遅い時間、ソロモン流という番組で密着ドキュメントを放送していた
高座での迫力も凄かったのだが、プロライベートで四六時中煙草を咥えている彼の姿を見て、結局禁煙できなかったことが確認出来ただけでも一見の価値アリであった
(落語の枕で禁煙中をネタにしている件があるから)
1600人も入り国立劇場で一人会をしたかと思えば、翌日は80人の開示陽で落語をする
ふいに黙り込んで落語について頭を巡らせる
「好きこそものの上手なれ」の典型のような方なのだと感心して見ていた

仕事が上手く行かない時等は古典の「浜野矩随」を聞いてエネルギーをもらうのが最近の習慣にすらなっている
私を感染者0号として、次々と周りの方々にも志の輔菌は感染を広めている

来春は機会があれば「志の輔らくご in パルコ」2009(あるのかどうかは知らない)に出掛けて
高座でしか味わえない臨場感を体験してみたいものである

2008年09月14日@村田 富士男明日きっといいことがある

h20poster.jpgのサムネール画像9/10のエントリーの終わりに少し書いた「自殺予防週間

気にかかっていたのには二つ理由がある
ひとつは自殺を減らすための象徴的なイベントとしての週間活動は理解できるのだが
もっと広報活動を拡大もさることながら、日常のケア不足を憂うのである
単純な話ではないことは判っているが、ポスターにもあるように
「話を聴いてあげられる人」にそれぞれがなることを意識することである
「思いを伝えられる」だけでも人は心強く感じるし強くも生きられるものなのだと思う

もうひとつは、私自身も実は結構死にたがる事の多い一人なのである
特別に大きな悩み事やうつ症状があるわけではないのだが
幼い頃から「このまま死んじゃいたいなぁ」と結構頻繁に思うタイプなのである
実際にそれを実行しようとしたことは運が良いのか一度もない
一晩寝ちゃうか、何か他に関心事が出来れば「死んじゃいたい症候群」はどこかへ消えてしまう

逆に大きな悩みが発生しても、それを理由に死にたくはならない
そんな時は「なんとか解決しなきゃ」と逆に気合が入って気力も充実したりするものである

20代の後半ぐらいに「何で生きているんだろう」とプチ哲学的なことを考えていたことがあった
その時に自分の中で出した答えは「明日きっといいことがある(かも知れない)」である
先に何が起こるのかは誰にも予測できないのである
いくら悲観的な考え方しか出来なくたって、幸運が訪れる可能性はゼロではないのである
宝クジがあたるかも知れないし、良きパートナーに出会うかもしれないし、
大きな生きがいを見出せることがあるかも知れない

今のところ、これに勝る答えは自分の中では見つけられていない

2008年09月13日@村田 富士男意識≪想像

「≪」なんていう数記号が本当にあるのかどうかは数Ⅰ教科書の途中までしか勉強しなかった私には分らないが
「<(より小さい)」の強調系で「≪(より非常に小さい)」という数記号らしい

想像とは、目の前に与えられた課題を理解した瞬間に
「なんとなくできそう」、「絶対にこんなこと出来ない」等などと人は感じる
そこには明確な根拠がなくとも、そう思ってしまうものである

意識とは、目の前に与えられた課題を理解した瞬間に
「何としてもやらべばならない」等のように自らに動機づけをまさしき意識的にすることである

この二つはそれぞれ体内で起こっていることだが全く別次元の作用で
想像が否定したものは意識で強制的に肯定したとしても成すことができない

わかりやすく書けば、某テレビ局の夏のイベント番組の100kmマラソン
仮に私に挑戦依頼が来ても私は即座に断る、だって「絶対に10kmすら持たないと思っているから」
それが業務命令だったとしても私は出来ない理由をありったけ並べて挑戦すら辞退するに違いない
私は走ることも歩くこともできるのだから、物理的には100kmを走破する可能性はゼロではないはずなのである
でも私の想像力は100kmを走破して、達成感に満ち溢れた爽やかな笑顔で挨拶している私を思い描くことは例え何があっても、例え天と地がひっくり返ったとしても、例え女房に離婚届を突き付けられたとしても絶対にできない

今回のお題を書き直すと「意識は想像より非常に小さい」ということ
正確には意識の力は想像の力に絶対に勝てないのである

で、どうするかと言うと...
解決策はとても簡単なのである、どんなことがあっても「俺なら絶対に出来る」と思えばいいのである (*^^)v
そうはいっても、思っちゃうことは思っちゃうわけで出来なさそうなことは出来なさそうなのである
だから、まずは出来なさそうと思っちゃった時の自分の想像の過程を冷静に分析する習慣をまずは身につけることである
出来ないと思うことは一瞬である、それは心が恐怖を覚えた瞬間ともいえる
その恐怖の実態を理解することで、出来ないと思っちゃうがは少しづつ変わっていくのだと思う

( エドはるみ 113kmマラソン 二日目朝 映像 )

でもでも、100kmマラソンには私は絶対に挑戦しないのである

2008年09月11日@村田 富士男9.11

9.11と言えば、7年前にアメリカが同時多発テロで攻撃された日である

朝食を取って身支度を整えようと自室に戻ろうとしていて娘とすれ違った

娘 「お父さん、今日は9.11だよ」
私 「おおぅ、そんな話題を口にできるようになったんだ」
娘 「うん、私が2年前に盲腸の手術をした日なんだよ」
私 「............」

まぁ、そんなもんでしょう (-。-)y-゜゜゜

2008年09月10日@村田 富士男私を変えたひと言 その1

原田宗典著の「私を変えたひと言」を一気に読んだ
著者の人生の中で、転機となったいくつかのひと言について著者の思いを書き綴っている
そこで、私にとっての「私を変えたひと言」を思い浮かべてみた

良い意味で記憶に残っているのは高校二年の時の担任のひと言ぐらいしかない
「村田の(掃除中の)モップの使い方は天才的だな」と褒められたこと
学業の成績で褒められた記憶は残念ながら全くない
特別な技を持ってたわけではないのだが、モップのヘッドの部分を巧みに操っている自信はあった
そんな些細でマスターベーション的なプチ自慢に他の誰かが気付いてくれたことが
未だにとっても貴重な成功体験としてリアルに思い出される
適切な言葉が見つからないのだが、もの凄く嬉しく感じていた記憶が残っている

良くない方面では、二十歳というとても大切な1年間を闘病で棒にふった後の母親のひと言
「入院中には話せなかったけど、あなたは本当は医者から(社会復帰は無理だと)さじを投げられていたんだよ」
あぁ、俺は一度死んでたんだ...と思った
運良く二度目の人生を生きるチャンスをもらったんだ、今までとは違う自分で生きてみようと密かに決意した記憶が残っている

ここまで書いて思い出したことがある
それは他人から言われた言葉ではなくて、自分の心の中でつぶやいていた言葉、時期は高校入試が終わった頃
「過去の自分は捨てよう」、幼少から中学を卒業するまでは無口で大人しい子というのが私に対する評価の大半だった
自分の中ではそんな自分がとても嫌いだったし、本当の自分は違うタイプのはずと思っていた
でも、友人関係や住んでいる環境が私の変化を受け容れてはくれない
一度貼られたレッテルを覆すことは非力な私には無理だった
高校進学は環境が劇的に変る、昔のそんな私を知る人も極端に少なくなる
幼心に自分を変えるのは今しかないと真面目に自分に言い聞かせていた

きっと、まだまだ私を変えたひと言ってのは沢山あるような気がする
思いつくたびにこここにロクとして残しておきたいと思う
その時々の嬉しさや悔しさや悲しさや切なさや怒りは、まさしく私の人生であり
その都度、何かを蓄えたり捨てたりして、今の自分を構成している歴史に他ならないからである

ここのところ、書きたいネタがいくつかあった
ひとつは自民党の総裁選騒ぎの愚かさと国民を今一度愚弄しようとする情けなさであり
国民(というか有権者、というか少なくとも私)はそんなに浅はかではありませんよと書きたかったのと

たまたま、ネットニュースでたまたま見かけた「自殺予防週間」(9/10~9/16)という企画に疑問を投げかけたかったのだが
何故か、うまくたまとめることができなくて数日空きを作ってしまっていたのです

今夜は無理して書いた感が否めないなぁと思いつつ、眠いのでもう寝る

2008年09月06日@村田 富士男溢るるパワーを

power.JPG


この絵はご懇意にしていただいている心理学セミナーの講師であり、別名招き猫絵師の谷さんが私のために書いてくれたものであります
知らなかったけどネットを検索していたら作品ブログがあったのでご紹介
探偵さんと招き猫

「溢るるパワーを!」は私の生活信条で、パワーが(自分の中の)器から溢れるほど常に漲らせて生きていたいという気持ちの現れです
自分自身が満たされていなければ、外部へのアプローチは決してプラスには働かない
なぜなら、まずは自分を満たすために他者のパワーを利用しようとするからだ
自分自身で自分を満たせなきゃ、本能がそれをさせるのである
私のことをもっと褒めてよ!もっと認めてよ!もっとかまってよ!もっともっと愛してよ♪と他者を翻弄するのである
だって、自分のことを可愛くない人なんてのは世の中に一人もいないからね

今日はキャロラインリクエストのごくごく身内だけの事務所開き
パワーが溢れるほど漲っているのかどうかは不明だが
私の肝臓は次々とやってくるアルコールの処理に既にオーバフローしていることは間違いない

今夜もウコンの力に頼る夜になりそうである

2008年09月05日@村田 富士男新しいお供

通勤電車の中での新しいお供を購入

「傷つきやすくなった世界で」 石田衣良 著


もうひとつ


「わたしの普段着」 吉村昭 著


そして、もうひとつは...

「私をかえた一言」原田 宗典 著である

作者には何の関連性もエッセイだということ以外には脈略もない、ただ適当に選んだだけの乱読派である
原田宗則さんは以前に何冊が読ませていただいたことがあるが
石田衣好さんと吉村昭さんはどちらも初体験である
3冊あれば1ヶ月くらいは楽しめそうである
感想は気が向いたらエントリーしてみます

そうそう、「傷つきやすくなった世界で」の帯には「痛みに耐える力があなたに湧いてきますように」って書いてある
痛みに耐える力...ってなんだかとっても日本人的

某企業の社内ブログより...「ミートバイバイが治らない」ってルー大柴でも思いつかないと思う

2008年09月02日@村田 富士男どうでもいいじゃん

福田康夫首相が辞任会見を開いてからほぼ一日経とうとしている

政治に関しては興味がない ...というか興味が無くなってしまったので
自民党がどうのこうのとか、無責任だとか、等などの感想がないというのが実感

辞任会見はテレビを通じて最初から最後まで見ていた
内容的には何も語ろうとすらしなかったなぁというのが私の感想である
つたえたくても伝えられない何かがあるような奥歯にモノが挟まったままで終わってしまった

「新たな体制の方がいい」という理由を何度も口にしていたが
どうして私じゃない別の人がいいのかという理由は一度も語らなかった
政治空白は国民に迷惑を掛けると話していたが、それも説明不足のまま終わった

完全に説明責任を果たしていない会見だった
真実や真相を全く語ることのできない会見なら、すべてにおいて全く意味がないことを再確認した程度しか(私の中では)成果はなかった
まさしくと゜うでもいい会見でしかなかった

「どうでもいいじゃん...」というのは私の口癖のひとつらしい
それはもっとも近しい知人K氏から最近になって指摘されたことで
会話の端々にそのワードが出てくるらしい

K氏というのは私の部下でもあり、仕事も含めて共通の話題は事欠かないのであるが
思考パターンが違うのか、K氏が悩みとして抱えるようなことでも、私にとっては拘りたいことの範疇から外れている事が多い
拠って「そんなことはどうでもいいじゃん...」的な発言を連発してしまうらしい

自らを省みてみて、拘りが多いかというと決してそうじゃないと思っている
むしろ拘りたいことはピンポイントでそれ以外はピンポイントがぶれなければ大概のことは受け容れられたりする人だと(私自身は)思っている
ただ、ピンポイントの拘りが実現できなければ、ほかの全ても台無しにしてしまってても仕方ないという癖は持ち合わせているようだ
この辺りに私のまだ自覚できてないトラウマが何か潜んでいそうである

まぁ、それも今は「どうでもいいこと」のひとつでしかないんだけどね

2008年08月24日@村田 富士男自我同一性(self identity)

同一性(identity)とは、あるものが他のものと等しくある性質をいい
自我同一性(self identity)とは、自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念だ
だから、「私は私」という表現は本当は適切ではない、というか単に自我を見つけられていないという(若しくは何かも考えてない)ことを表明しているだけなのである
私という存在が何かとの同一性を見出すことではじめてidentityという表現が用いることが出来るようになるはずなのである

キャロラインリクエストの発足のキッカケはある企業のCI構築から始まった
景気後退が懸念される中でコストのかかるCI開発は社内でも批判は少なくなかった
でも、キャロラインリクエストの実質的な前身にあたる固有の集団は、そんな時期だからこそCorporate Identityが必要なのだと確信していた

SelfでもCorporateでも、「私は私」「我が社は我が社」と考えているうちは進歩も進化も絶対に成す事は出来ない
理由は明らかである、自分(自社)の強みや弱みを解析して理解していなければ
意識を変えることも戦略を練ることも出来ないからである
漠然と「私(我が社)は私(我が社)で何が悪い」と開き直っているだけである
多くの企業が業績が鈍化したり先行きが不透明になってくると、改革だとか挑戦だとかいってアクションを起こす
そして、その多くはたいした成果を得られないまま頓挫していく(らしい)
それは理由は確固たるidentityを見出せていないからなのたろう(と私は思う)

私自身も数年前までは改革というキーワードを特に好んで使っていた
それは停滞している現状を打破したいという単純な思いからだけであったのだが
その間違いにある時に気付かせてもらった
それは自らの自我同一性に(この歳になって)気付いた瞬間であった

私のself identityは「支える」である
もう少し噛み砕いて書けば、何かを支えることで自らの存在価値を見出している生き物だということだ
支えることは苦しいことだと感じる方も少なからずいるだろうが
私にとっては支えることが全てだと断言しても過言ではない

私を知る人たちは、日々の私の言動をそう捉えられない場面もあるかも知れないが
私は全ての場面で「支える」を純粋に実行している
どんな場面でも「支えている私」をまさしく左脳的に説明する自信がある

キャロラインリクエストを始めるにあたり、この私のidentityは今までとは違う対象に向かうことになる
それは組織の内部からのアプローチが組織の外部からのアプローチに変るということ
でも、私のidentityが一切ブレることはない、環境の変化でブレるものは本当のidentityとは違うのだ

No.6のブログ「真」を読んで思ったままを書いてみた

しかし、そろそろボロボロになった財布を買い換えなきゃ

2008年08月23日@村田 富士男支配し、支配され

夏休みももうのこり僅かとなってきた
我が家には中学3年の息子と中学1年の娘がいる

息子はほぼ毎日10時くらいには家を出て塾の自習室とやらで勉強をしているようだ
本人曰く、冷房も効いているし私語厳禁なので勉強に集中できるからということらしい
娘は同じ塾に通っているのだが、あまり自習室には行ってないらしい

女房はというとこの春から給食のオバさんをパートで始めたので
夏休み中は必然的に仕事がなくて四六時中家にいる

息子と娘の行動の違いを見ると、その理由は母親の存在にあるような気がしてならない
ご多分に漏れず我が細君も勉強には口やかましい
朝から晩まで子供たちに「宿題は出来たか!?」「遊んでばかりいないで勉強しない!」と
定期的に口にしないと死んでしまうかのように繰り返している

息子の行動はあきらかにそんな口喧しい母親からの避難行為である
もう、グタグタと繰り返される小言を音としてすら聞きたくないようだ
一方、娘はその小言を疎ましくも感じならがら、小言を言われることで自分の存在を確認しているようで
わざと手の掛かる子供を演じていて、叱られる場面を率先して作っているような気がしてならないのだ

対する母親も娘には殊更に口喧しい、それは躾であったり娘のために...という部分が大半を占めているのだろうが
第三者的に見ているとその域を完全に超えている場合も少なくない
娘の幼少期からそんな二人の関係を見ていると
お互いに分かってやっているんだなとも思えて、最近ではその二人の丁々発止を楽しんでいる

傍らにいると単なる騒音以外の何物でもないが、二人には大切なコミュニケーションなのである
支配しているつもりの母親が実は娘の言動にコントロールされて、娘の思うがままに小言を言わされているのである
女房にそう何度もアドバイスをしているのだが、毎日のように娘の術中にハマって楽しんでいる

私と息子は、そんな二人を眺めながら時々顔を見合わせては、それぞれの自室に消えていく毎日なのである

そうしつつも、スチールドラゴンのハシゴを心いくまでしてみたいのである

2008年08月19日@村田 富士男仮説

ここのところハマっている海外ドラマ
ひとつはDr.HOUSE、さらにリ・ジェネシスバイオ犯罪捜査班、そしてクリミナル・マイントFBI行動分析課の3つである

知人からの影響で禁断の「24」を見始めて以来、次々と海外ドラマを漁るように観ているのだが
派手なアンションやストーリー性や勧善懲悪が楽しかった初めの頃とは楽しみ方が変ってきている
上に上げた三つのドラマはひとつは医者の話、もうひとつは科学者の話、最後はプロファイラーの話である

共通しているのは起こった事実を冷静に検証して、そこから仮説を立て、解決に導くという流れである
それぞれの登場人物はその筋の天才として描かれているのだが
実は失敗の連続の果てにやっと解決へと辿り着くのである

問題解決への柔軟な思考は見ていてとても参考になる
言い方を変えると仮説力とも言えるのかもしれない
難題にぶち当たった時にどれだけ柔軟な発想で多様な仮説を立てていけるのか
実社会ではドラマのように常に正解が見つかるわけではないのだが
起こった事実だけを正確に検証する目と多様な仮説力の必要性を痛感する

仮説を立てるという行動はよくよく考えてみると
実は我々も四六時中やっているのである
「こんなことをしたら金儲けができるかも」
「ああしたら上司に褒められるかも」
「こうしたらあの女性(男性)に気に入ってもらえるかも」等などである

ただ、仮説力を鍛えていないと選択肢は限りなく限定的になり
自らの望んだ結末に至る可能性は極端に少なくなる
その結果だけを捉えて、自分には運がないとか環境が悪いからと他者に責任転化を決め込まないように心掛けたいものである
仮説力を鍛える絶好のチャンスを自らが逃してしまうことになるのだから

それはそうと、リ・ジェネシスのメイコとCSI:マイアミのナタリアは僕の好みだなぁ

2008年08月18日@村田 富士男らしさ

北京オリンピックの柔道競技を観ていて感じていたこと
それは「らしさ」の欠落である

テレビで放映される多くのシーンは準決勝以上の試合だったり
若しくは日本人選手の試合が殆どなのであるが

試合の優劣が決まった瞬間にガッツポーズをしたり、喜びのあまり周りを飛び跳ねたり
はたまた、期待に応えられずに泣き崩れたり蹲ったり
重圧からの開放感でその場に大の字に寝てなかなか起き上がってこなかったり

その光景にもの凄い苛立ちを覚えていた
私は柔道を習ったのはせいぜい体育の授業程度しかないが
同じく武道の剣道を中学生までかじっていた
それは「礼に始まって礼に終わる世界」だったはずである
自らの精神力の鍛錬が第一義で、技術の向上や試合の勝ち負けはその次だった(はず)
試合に勝とうが負けようが、相手選手を敬う気持ちもそこには含まれていたはずなのである
試合の終わりは優劣がついた時ではなくて、相手選手を敬う一礼が終わり
闘技エリアから離れた瞬間でなければならない(と私は思っている)
そこまでは極端なリアクションはとるべぎはないはずなのである
それなのに...
日本人選手ですらそれを忘れちまってるようで何か悲しさを感じるのである

人だから感情を抑えきれない瞬間があるのも当然だろうけど
柔道は武道なのは間違いことで、そこに脈々と流れている精神世界を忘れて欲しくないと思う
レスリングや陸上競技とは違うのである

勿論、オリンピックに出場するような方々なので、
私が想像できないような厳しい鍛錬をなさっていることは間違いのないことではあるが
残念ながら、武道家らしさはそこにはないように思えて仕方がない

もうひとつ、受身という概念はどこへ行ってしまったのだろうと思う
技を掛けられて決定的な場面でも、無理な体勢で一本から逃れようとする
日本柔道は一本勝ちに拘りすぎている...という解説も少なくはないのだが
受身は本来、投げ技による怪我から我が身を守るためのもので
負けを避けるためのものではないはずなのだ
パワー柔道が主流になって(いるらしい)、競技そのものの根幹が揺らいでいて
武道ではなくて別のものに進化(若しくは退化)しているようだ
ここでも柔道らしさが欠落しているような気がしてならない

三五十五のような見事な背負い投げが観てみたい(判る人だけ判ってくれれば良いです(^。^))

2008年08月17日@村田 富士男コスト

前のエントリーの「Beijing 2008」の続き

北京オリンピックの会場もそうだけれど、空港やいたる所でセキュリティチッェクという関門が我々を待っていた

安全を期すのはとても大切なことなのではあるが
当然のことながら、私はテロ行為等するつもりもないし
それを実行するだけの技量も資金もない
でも、それは私個人だけが知っていることであり
他者(特に外国に行った場合)には口頭でのそんな説明は何の意味も持たない

いわゆる悪意を持っている人(が、いたとしたら)は確率的には0.000...%のレベルだろうし
そのために、残りの99.999...%の参加者は時間の浪費というコストを払い
主催者(保安)側は膨大な人件費と施設のコストを払う

安全をお金で買うという意識は日本人には馴染みの薄いもので
日本国内にいる限りこれらのコストと、それから得られるであろう安全という対価は既に手中にしてしまっているからなのだと思う

日本は島国で且つ単一民族で構成されているからという解説は嫌というほど聞かされている
他国の人たちから見れば侵略されたり(した)過去がないから平和ボケしてるのだと批判されるのかも知れないが
平和ボケで何が悪いと思うのである

身の回り品も含めて、一度どこかでチェックをすればこと足ることじゃないのかと私は思う
空港で「この人は安全です」というお墨付きをもらえば、その国内の何処でも通用するような仕組みは作れないのかと思う
武器や火器等を現地調達する可能性だって否定は出来ないが
それはその国の国内の問題であって他国からの入国者には無関係な話のはずなのである

言葉も違えば宗教も文化も違う、そんな人々が同一の思想を持つことは容易なことではないが
暴挙に出るのは本来は我が身を守るための最後の手段であり
先制攻撃をするためのものではないはずなのである
人は必ず他者との共存を本能的に望む生き物のなのである
でも、人は攻撃・侵略・略奪の歴史を止めることは出来ない

平和の祭典の影で紛争はいたるところで勃発している
オリンピックの起源は当時のアテネ周辺の小国同士の侵略合戦を
統一の競技会を開催することで一次休戦するためのものだったらしい
もうその当時から人の愚行は始まっていたのである

日本はアメリカという軍事大国の庇護の下に安全を享受していると言われるが
そのアメリカの地上生活は(多分)日本よりも危険度が高いのである
単なるアメリカの傘下いることだけが日本の安全文化の全てではないのである
日本人の本当の心は殆どの外人が理解することは出来ないだろうか
安全が当たり前の社会があることを今だからこそ胸を張って誇るべきで
セキュリティの強化という対処療法にコストを掛ける愚かさに辟易した北京滞在であった

2008年08月17日@村田 富士男Beijing 2008 (オリンピック編)

8/13~16の4日間、北京オリンピック観戦ツアーに参加してきた
もの凄く暑いと聞かされていたが、日本で今一番暑い東海途方に住む私にとっては
過ごし易さという点では北京の方が数段楽だったよう感じがした

最初に観戦したのは日本のお家芸(だったはずの)柔道である
観戦日は8/14、男子は鈴木選手、女子は中澤選手が出場する夜の部のチケットでした
夜の部ということで、両選手がせめて準決勝まで勝ち進んでくれないと日本人選手を応援する機会を逸してしまう
その不安は昼食時に的中した、鈴木選手が一回戦負けを喫したとの第一報...
まだまだ女子もあるさと言っていたのも束の間、続けて寂しい知らせが入る

Image013.jpg
(←日本人がだれもいない柔道場(汗))

かくして、準備していた応援グッズは一度も日の目をみることもなく
オリンピックの雰囲気だけを味わう寂しいスタートとなってしまったのである

Image017s.jpgのサムネール画像
翌日は、通称「鳥の巣」と呼ばれているメイン会場で陸上競技を観戦する


Image020s.jpg
(←誰しもそうだろうけど行列に並ぶのは大嫌いなのだ)
ガイドが強烈に混雑してますから予告通りに
会場に到着してからセキュリティチェックを通過するだけで一時間半も時間が必要だったのである


Image023s.jpg

長い長~い行列をやっと抜けると今世界で一番有名な網々のメインスタジアムが目の前に
(私も含めて、一斉に写真を撮っちゃうあたりが日本人らしくていいですねぇ(自嘲))

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その隣には北島選手が連続二冠を達成した水泳会場

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競技場の中に入るとこんな感じ...

グランドでは室伏選手の砲丸投げの予選を戦っていた
(と言っても一投目で高記録が出たのでその後は投げなかったらしいけど...)
100m一次予選の塚原選手の力走も見れました
スタンドで座っていられたのは一時間とちょっとだけ、セキュリティ通過するための時間の方が長かったのがなんともイベントこどらしくていいのだ


とまぁ、実際の観戦時間は柔道と陸上を合わせて3時間あまり
メダルを賭けた大一番とは遭遇することが出来なかったのが残念ではあったが
「その時にそこにいた」という自己満足だけでも体験させてもらったことに感謝しよう

2008年08月09日@村田 富士男左脳な

脳には右脳と左脳があって、右脳は主にイメージや感性や想像力を司っていて、左脳は主に言語ゆ論理や分析を司っています
人にはタイプがあって感性が豊かだったり(乏しかったり)分析能力に長けていたり(欠落していたり)等々、右脳と左脳の使い方のバランスによってさまざまな個性が創り出され、それを使って日々暮らしています
それは仕事とかプライベートとかという区別はなく、どんな場面や環境でも変わることはありません

私の場合は圧倒的に左脳に頼って暮らすことを幼い頃のある日に決断したようで、長年染みついた物事の捉え方や考え方はなかなかかえられるものではないようです
両親から引き継いだDNAも少なからず影響しているのだろうとは思いますが、脳の使い方のを決めたのは生まれて以後に学習して身につけたものです

この2年あまり心理学の勉強をしてきました
その中で本当の自らを見詰め直す作業の中で、おぼろげに意識していた私の生き方はより明確になっていきました
感情を押し殺して冷静沈着な立ち居振る舞いを自らに強制し、俗にいう手の掛からない良い人(子)でいることで他者との共存を図って生きてきました
共存し続けめに様々な武器を身につけました、それはそのグループの中での自らの存在意義を確実にするためのもの、悪い言い方をすれば自己保身のためのものです

でも、時にはそれでも拒絶されてしまうことがある
「仲間外れにされないために、ひたすらアナタ(方)に尽くしているのに...」という甘えを否定された時に
それまでひた隠しにしていた感情がむき出しになる、過去を振り返るとそんなことも何度かありました

右脳を中心に生きている人達がどんな感じ方や考え方をしているのかは左脳人間の私には想像もできませんが、やはり何事もバランスが大切なのだと痛感している今日のこの頃なのです

幸いにして、私の身につけた武器はビジネスという場面では有効に働いたことが多かった
キャロラインリクエストという新しい仕事の中で、私自身のは脳をより強化しつつ、右脳の開発を忘れないで取り組んでいきたいと思っている

2008年08月07日@村田 富士男せるふぃっしゅ・ひゅ~

記念すべきブログ第1号なのです

このハンドルネームの命名者は一緒に仕事を始めようとしているno.6さんで、日本語的には「少数派な利己主義者」とでもいったところ

最近になって、それに「左脳的」ってのをつけたいのだが

「左脳的で少数派な利己主義者」じゃ長すぎるわけで、何か良いアイデアがないものかと思案しているところ

 

ところで利己主義と聞くと我侭放題な奴とか身勝手な奴というイメージが強いのだが、本当の利己主義というのは実はそれとは違う

利己主義とは、まさしく己の利益を最重要視する考え方であり、前述のような単なる我侭放題とか身勝手というのは、その言動に対する善意のないリアクションを代償として受け入れざる得ない状態に陥らせてしまうからである

例えば、悪口を言われるとか、相手にされないとか、煙たがられるとか、信用されない等、それらの他者からの悪い評判や反応は決して自らに利を生ますことは出来ない、トータルで見ると決して利己的ではないのである

では、何が本当の利己主義がどうなのかというと、それは私には判らない

ただ、私自身の生き方が他者からそう見えるのであれば、それはそれで受け入れられるというだけの話でなのである